DAYS JAPAN — 2011年4月


DAYSが伝えたイラク戦争

「対テロ戦争」として開始されたアフガニスタンへの攻撃。被害の詳しい検証も行われないままに、ついに開戦10年目へと突入する。この戦争で何が起きているのか。

/ブライアン・コバート

「我々は死者を数えない」

2001年にアフガニスタンの人々の上に爆弾の雨が降り始めてすぐ、米・バージニア州アーリントンの国防総省の役人の多くは、敵の死者数については戦闘員か民間人かを問わず記録は取っていないと述べていた。03年3月20日にアメリカがイラク侵略を始めた後は、その方針をさらに強調していた。

当時、ブッシュ政権の国防長官を務めていたドナルド・ラムズフェルドは、03年11月2日とその10ヶ月後にも、FOX(アメリカ国内の保守系ケーブル・テレビネットワーク)のインタビューに答えて「他国民の死亡者は数えない」と言っている。

米政権は冷淡なものだったが、多くの人々は、イラク戦争の嘘に隠された真実を究明しようと世界の国々で熱心な取組みを行っていた。そのひとつが、イギリスとアメリカの市民による「イラク・ボディーカウント」(注1)だ。

イラクでの死亡者数を集計するこのグループのサイトには、03年の侵攻以来の数万人ものイラク人死者がよく整理されデータベース化されている。最低2つのニュースメディアで確認された死者に限って集計しているため、控えめな統計ではあるが、8年にわたる戦争で今日までに9万9千人ないし10万8千人のイラク人が死亡しているとされている。

イラク戦争が始まった当初は、大量の犠牲者が一度に出ていた。例えば、イラク南部のナシリヤでは、03年3月20日から4月3日までの米軍の空爆によって、子どもを含む226名から240名が死亡、同3月20日から4月6日までに米軍の地上攻撃により633名が犠牲になっている。

イラクボディーカウントが、現在も続けている死者数を記録する仕事は、イラク戦争の背後にあるものを世界に知らせることに大きく貢献していることは間違いない。

独立メディアが政府の嘘を明かす

ダール・ジャマイルは、米・アラスカ州でネイチャーガイド兼レスキューレンジャーとして働いていた。しかし、イラクで戦っている「英雄的な」アメリカ兵と最新式の戦争マシンを紹介する、愛国的なニュース報道が増えるにつれ、怒りは募っていった。

アラブ系アメリカ人のジャマイルは、アメリカのニュースメディアによるイラク報道に「完全に激怒した」という。そして次第に、自分のほうがましな報道ができると考えるようになった。ついに仕事を辞めたジャマイルは、デジタルカメラ1台とラップトップ・コンピュータ1台だけを携え、ジャーナリストとしての経験もイラクでのつても無いまま、03年11月、ヨルダンのアンマン経由でイラクに入った。

インターネットに投稿されたジャマイルのレポートは、まもなくイギリスのBBCなどメジャーな海外メディアの関心を引き、引用されるようになった。

04年4月に2度目のイラク入りを果たしたジャマイルは、米軍の最初の包囲攻撃の間、立ち入り禁止となっていたファルージャに入った。

そして、ファルージャに民間人の死亡者は出ていないとする国防総省の発表とは裏腹に、実際には、米軍のクラスター爆弾と、民間人を標的にする狙撃兵により、子ども、女性、老人を含む数百人ものイラク人が死亡していることを目のあたりにし、記事にした。

その7ヵ月後、米軍がファルージャに対し2度目の大規模な包囲攻撃を行った04年11月に、ジャマイルは再度イラクに渡り、ファルージャから避難してきた多くの市民にインタビューを行った。そして、米軍が不法に使用した白燐弾によると思われる「恐ろしくひどい火傷をした」イラク人たちについて報告した。

ジャマイルは、このニュースを世界で初めて伝えたジャーナリストだとされている。

世界的なイラク民衆法廷

03年から05年にかけて世界各地(注2)で「イラク世界法廷」(World Tribunal on Iraq)の公判や公聴会が20回以上開催された。ジャマイルはこの場でイラク戦争の惨状を証言したジャーナリスト、研究者、活動家らの一人であった。しかし、当時のブッシュ大統領の言うところの「自由なイラクへの関与」が実際にはいかなるものであるかを露呈させたという意味では、最も強力な証言はイラクの市民自らのものであった。

沖縄を含む日本国内各地で行われた法廷の一つとして開かれた04年7月17日、18日の京都でイラク戦争犯罪民衆法廷が開かれた。そこで3人のイラク人民間人が米軍の管理下におかれたイラク市民の生活が、サダム・フセインの軍事政権下の時よりも、はるかにひどいものであったと証言した。

イギリス在住で元政治犯のイラク人ハイファ・ザンガナは、アメリカの侵攻により広範囲に貧困が広がったため、イラク人女性や子どもに対する暴力、誘拐、妊娠中絶、売春が一気にイラクで増加していることを話した。

サバハ・アルムフタルとカズワン・アルムフタルは兄弟で証言を行った。イギリスに亡命中のイラク人弁護士サバハは、米主体の同盟軍による人権侵害について証言した。「現在、イラクには裁判を受けずに拘留されている人々が少なくとも1万人いる。弁護士に面会することもできず、起訴もされず、法廷に立つこともない」と述べた。

イラク在住の元エンジニアであるカズワンは、イラクで破壊された社会基盤について証言した。さらに彼は、この1ヶ月後、米国内で開催された民衆法廷でも証言を行った。

彼はニューヨーク市のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア公会堂で約500人の聴衆に、イラクの警察と治安部隊が解体し、あらゆる犯罪が増加していると報告。また、電力や食糧の不足、上昇する失業率、劣悪な公衆衛生、水の供給、健康管理システムの破壊などで日常生活は困難を極めていると話した。

05年6月24日から26日の3日間、トルコのイスタンブールで開催された最後のイラク世界法廷ではイラクの環境エンジニア、ソウアッド・ナジ・アル=アザウィ、ニューヨークの医学専門家、トーマス・フェイジーら多くが最後の証言を行った。両者は、1990年、91年の湾岸戦争および03年のイラク戦争で米軍が劣化ウラン兵器を使用して以来、イラクにおいてガンと新生児の先天性欠損症の発生率が上がっていることなどを話し、米政府が否定し、欧米の主流メディアがほとんど取り上げない事実を明るみに出した
(注3)

ウィキリークス イラク戦争の残虐さ

07年7月12日、イラクの首都バグダードの「ニューバグダード」地区で、米軍のアパッチヘリコプター2機によってイラク人(米軍によれば「抵抗勢力」)が撃ち殺される事件が3件あり、数人が死亡した。それから3年近く経った10年4月、内部告発ウェブサイトのウィキリークスで衝撃的なビデオ映像が流された。「真実を武器に」用いてインターネット上の不特定多数と繋がるウィキリークスは、この事件の映像を密かに入手すると、これを39分に編集して「付随的な殺人」というタイトルをつけたのだ。

ピントのぼけた白黒の映像は、ヘリコプターの乗組員が撮影したもので、武装しているようには見えないイラク人男性の一団をそのヘリコプターから撃ち殺している様子が映し出されている。犠牲者にはロイター通信のカメラマンだったイラク人2人も含まれていた。

ビデオには、救助のため停車した民間の車両を、ヘリコプターから撃っているところも映されている。そのすぐ後に現場に到着した米軍部隊は、黒焦げになった車両から、奇跡的に生き残った重傷のイラク人の子ども2人を引き出すと、救急治療に搬送した。

漏洩したこのビデオによって米軍が主張する「抵抗勢力の活動」が、少なくともこの事件においては、嘘であることが証明された。

犠牲になったのは非武装の民間人で、米軍にとってまったく何の脅威でもなかったのである。

半年後の10年10月、ウィキリークスは、入手したイラク戦争に関する軍の内部文書40万点近くを公開した。「イラク戦争日誌」とタイトルのつけられたこの文書は、04年から09年までの米軍の何千という現地報告のデータだった。

この秘密文書には、確認されたイラク人死亡者10万9千人以上のうち民間人が6万6千人を超えることが記されている。

イラクボディーカウントによれば、ウィキリークスのファイルには、これまで米軍が民間人とは認めていなかった死亡者約1万5千人が含まれている。イラクボディーカウントでは、これにより03年以降のイラク人死亡者の数は15万人を超えると推定している。そして、そのうちの80%(12万2千人)以上が民間人であることは間違いないという。

アラブ系メディアのアルジャジーラがウィキリークスの資料を分析したところによると、04年から10年にかけて検問所又は軍用車のそばで約680人のイラク民間人が米軍によって殺されている。これらの犠牲者には子ども、妊産婦、精神的障がいを持つ人たちも含まれる。

しかし、様々な情報が公開された本当の意義は、単にこうした数字にとどまらない。ウィキリークスにより露呈されたのは、米政府が言い続けてきた「我々は死者の数を数えない」という言葉が嘘だったことだ。

米軍上層部は、実際には、民間人も含めたイラク人死亡者の数を克明に記録していた。そのうえで、ベトナム戦争当時と同様に、多くの場合、民間人の死亡を「戦闘中に死亡した敵軍」として集計していたのだ。

しかし、最大の危険は政府の嘘をつくことではない。政府の嘘を、国民の多くが信じてしまうことでさえない。I・F・ストーン(注4)はベトナム戦争のさなかの1967年に、最大の危険は、政府が自らの嘘を信じ切ってしまうようになることだと書いた。

21世紀におけるアメリカのアフガン戦争とイラク戦争でも同様のことが言えるであろう。


ブライアン・コバート
ジャーナリスト。1959年アメリカ、カリフォルニア州生まれ。UPI通信社、毎日新聞などで記者として勤務した後フリーランス。DAYS JAPANの英文編集協力。同志社大学社会学部メディア学科講師。兵庫県在住。
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(注1)イラク・ボディカウント www.iraqbodycount.org
(注2)公聴会・公判の開催地は、バルセロナ、ムンバイ、ロンドン、コペンハーゲン、ブリュッセル、ニューヨーク、ストックホルム、リスボン、ソウル、および、イタリア、ドイツ、日本の諸都市
(注3)イスタンブールでのイラク民主法廷の最終判決のあと、ベルギーの「ブリュッセル法廷」が世界各地で開催された法廷の内容をまとめてイラク戦争の真実を文書化する仕事を現在も続けている。
www.brusselstribunal.org
(注4)20世紀アメリカを代表する調査報道ジャーナリスト


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