寄稿 神戸 児童殺害事件報道 /「新潮」の反人権体質に思う

国際基準は未成年者のプライバシー権を保護

ルールに反するメディアは市民の信頼失う


フリージャーナリスト ブライアン・コバート

近年のアメリカ報道史上、最もショッキングなニュースの一つは1991年に起こった。ある女性が、ケネディ一族の一人であるウイリアム・ケネディ・スミスに、レイプされたと申し立てた時のことである。

アメリカのほとんどのマスメディアはレイプ被害者の名前は出さないという、一般の方針に従い、その女性の身元を明かすことはしなかった。

しかしながら、大手のメディアのうち、二社のみがアメリカ国内の大勢に反して女性の名前を公表し、さらに断りもなく「ふしだらで」「卑猥な」評判を報道した。その二社とは、NBCテレビネットワークと、ニューヨークタイムズ紙であった。

二社はすぐさま、国中のメディアから攻撃され、また社内のスタッフからの強い批判にも困惑した。このような内外からの圧力により、ニューヨークタイムズは稀な謝罪を掲載したが、すでに女性には永遠のダメージが与えられた。スミス氏は後に放免された。

ニューヨークタイムズは、「ベトナム機密文書」の報道に象徴されるように、権力の暴走を監視し、国民の「知る権利」を守ることでは高い評価を得ている。しかしながら、このケースは、世界の大新聞の一つであるニューヨークタイムズが、アメリカのメディアの傾向を必ずしも代表しているのではないことを表わしている。事実、いくつかのケースで、ニューヨークタイムズは倫理的な判断において、アメリカの大衆とマスメディアから孤立し、離れたこともあった。

この見地から、先日の週刊文春(7月17日号)のニューヨークタイムズ東京支局長のコメントに非常に驚かされた。彼はインタビューの中で神戸の悲惨な殺人事件がもしアメリカで起こったら「間違いなく少年の顔写真だけでなく、実名も報道されていた」。さらに、「両親の名前、どこで働いているか、などもただちに公表されていたはず」と述べている。

彼は日本の現状について理解が不十分だと思う。多くのアメリカのメディアは不文律として報道倫理について規定をもっており、犯罪報道の中ではレイプの被害者や未成年者の実名は公表しないことにしている。

近年の経験から常にマスメディアが未成年の権利を侵したときには、あらゆるケースにおいて、大衆の怒りが我々ジャーナリストに向かってくることがわかっている。一つの好例としてミネソタ州でメディアの代表者と、未成年者のプライバシー権を侵したメディアを非難する大衆の意見を支持する市民によって、独立した「ミネソタ報道評議会」が組織されたことが挙げられる。

しかし、支局長の主張に反論する最大の根拠は国際基準にある。1985年に国際連合は通常「ベイジン(北京)ルール」として知られる「国連少年公正施行の標準最低規則」を作成した。第八条でプライバシーの保護について述べており、「未成年者のプライバシー権は、不当に公表されたり、評価されることにより彼女、または彼が損害を受けることを避けるため、いかなる場合にも尊重されるべきである」「一般原則として、未成年者の容疑者の身元がわかるような情報は報道されるべきではない」とある。

このような国際的に認められている基準に反していく、ということはメディア各社は、市民の信頼を失うという大きな犠牲を払わなければならない、ということを意味する。

最後に、日本の報道機関がニューヨークタイムズを将来の犯罪報道において倫理的な報道の「モデル」と考えていれば、それは単純で、愚直なことである。

追従するべきモデルは、世界中の、犯罪報道の中の子どもたちやその家族のプライバシーを守ることに不屈の努力を惜しまない報道機関である。支局長の意見を真剣に受け止め、ニューヨークタイムズ方式の報道を続けると断言する日本のマスコミがあれば、六年前のウイリアム・ケネディ・スミスのレイプ事件の際、ニューヨークタイムズがおかれた立場とまったく同じところに、自らが立たされていることに気付くだろう。社会の外に立ち、もう一度中に入れてくれるよう懇願する姿を。
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ブライアン・コバート カリフォルニア州ロサンゼルス出身のフリージャーナリスト。社会的な問題全般を取材し、海外の新聞、雑誌の調査報道も行う。カリフォルニア州立大学フレズノ校ジャーナリズム学部卒。アメリカ国内の新聞の記者、編集者、UPI東京支局の関西通信員、日本の英字新聞の記者を経て、現在はワシントン州のオンラインニュースサービス「REALNews」の日本駐在員。兵庫県在住。