小田さんの素晴らしい大家族

ブライアン・コバート
(ジャーナリスト)

小田さんに大きな影響を受けたと言う人は数知れない。彼等が小田さんについて語る時、多くの人が、ただ小田さんについていくのではなく、小田さんの呼びかけに応えて、自分にできる方法で実際に行動する事を学んだ、と言う。そのように小田さんに影響を受け、行動を起こした人々は、大きな意味で小田さんの家族と言ってよいのではないかと思う。

1980年代の半ば、初めて日本にやって来て新聞記者として働き始めた頃、私は小田さんのことを知った。ずっと、小田さんに会って話を聞きたいと思いながら、なかなか機会はやって来ず、思いはかなわずに時間が過ぎた。

2004年になってようやく、兵庫県芦屋市の山村サロンで開かれた小田さんと、ベトナム戦争に参加する事を拒否した元アメリカ兵との話を聞く会で、私は小田さんに会い、話をする事ができた。

その後、小田さんと年賀状やファクスのやり取りが続いた。

昨年、私は小田さんにインタビューをお願いし、西宮のご自宅でお話を伺った。書き上げた記事を
インターネットに載せ、小田さんにフアクスでURLを伝えた。

小田さんは、インタビュー記事をどう思われているのだろうか、と思いながら2日が過ぎた。2006年3月16日午後2時3分、見慣れた小田さんの手書き文字のファクスが入って来た。

「インタビュー記事を読み終えた。とても感謝しているし、楽しんでいる。すばらしい出来だ。ありがとう」そう書かれたファクスを読み、胸をなで下ろした。小田さんの試験にパスしたような気分だった。

約8時間後の同じ日の午後10時7分、新たなファクスが小田さんから入って来た。「今、インタビュー記事を読み返したところだ。もう一度お礼を言いたい。私が受けたインタビューでおそらく最高だ。あなたはこの仕事を誇りに思うべきだし、私も誇りに思う。この事が言いたくて、もう一度ファクスを送った。またいらっしゃい、話をしょう。」

この2枚の小田さんの言葉ほど、これからもこの仕事を続けていく上で、私を勇気づけたものはない。そして、小田さんの暖かさを深く感じ取った。

8月4日の葬儀で、加藤周一さんが「彼の呼びかけは格別の説得力をもっていた」と述べられたが、この2枚のファクスは私に呼びかけ、なにものにも替える事のできない力を与えてくれた。

この時のインタビューは、2006年11月に出版された『9•11と9条 小田実平和論集』に、金井和子さんの手で日本語訳され収録された。また、イタリア語にもなった。

そして、昨年6月には、私の同志社大学のクラスで小田さんに話をしていただいた。私は英語で授業をすることにしていたので、小田さんにも英語で学生達に話をして欲しいとお願いしたところ、小田さんは快く引き受けてくださった。私は、「実際の戦争を体験した人」の話を学生達に聞かせたかった。テキストやニュースで読む戦争ではなく、実体験を聞く事で、学生達に現在と未来を考えさせたかったが、果たして小田さんの講義は学生達に大変な衝撃を与えたようだった。その講義の時の様子を小田さんはホームページのweb版
「西雷東騒」の第1回に書いて下さっている。

講義が終わり、別れ際に私と小田さんは握手を交わした。普通の西洋式の握手ではなく、アフリカ系アメリカ人の社会で「soul shake、魂の握手」と言われる方法で手を握り合った。その時にお会いしたのが最後になってしまった。

講演会などで見せられた、聴衆に挑みかかるようなイメージではなく、暖かく、心の中に迎え入れて下さるような、そして、こちらの心の中にも入り込んで下さるような方であった。

小田さんには日本のみならず、世界中に兄弟、姉妹がいらっしゃる。直接、小田さんと行動を共にされた方、交流をもたれた方、そして著書や講演から影響を受け、自ら行動を始めた大勢の方々がいる。それは、愛と、尊敬の念に満ちた素晴らしい大家族である。私もその家族のメンバーに加えていただく事ができただろうか。もし、そうなら、小田さんが亡くなっても、私は永遠に家族の一員であり続けたいと思う。