最期のひと息

ブライアン・コバート

妻が私に早く夕食をとるようにと促しました。もう夜も遅い時間でしたから。「ちょっと待って。彼女はもうだめなんだ」と私は玄関わきの廊下から答えました。夕食を済ませて戻ってきたら愛する家族が死んでいたなんて悲しすぎます。犬のそばにいてあげなさいと私の本能が教えていました。それは正しかったのです。

マロン、我が家の15歳になるゴールデンレトリバーが呼吸困難に陥ったのは昨夜のこと—それからずっと、玄関の内側に敷いた毛布に横向きになったままです。朝方、近くの動物病院の獣医さんに緊急往診してもらったのですが、この数日で2度目の往診でした。

今朝の獣医さんの話は、マロンの命はせいぜいあと2、3日で、今日にも逝ってしまうかもしれない・・・特定の病気ではなく老衰のため、というものでした。数ヶ月前、マロンは軽い発作に見舞われたものの、歩けるまでに回復していました。ところが、数日前から歩くことも食べることもできなくなったのです。

マロンに「そのとき」が訪れたとき、家族はどうすべきか。獣医の助言によると、彼女は動物病院への搬送には耐えられないから、私たちにできるのは、大好きな家で家族に囲まれて最期を迎えさせてやることだけ。医師は点滴と痛み止めの処置をしてくれました。私たちはわかっていました。医学がなし得る力はここまでで、あとは私たちにかかっているのだと。

というわけで、私はマロンのふわふわ毛におおわれた顔に自分の顔を寄せて、アイコンタクトを交わそうと試みました。その時点で彼女にできる動きといえば、目を動かすことだけでした。彼女の驚くほど機敏な目が私の動きをくまなく追っていたのです。私は彼女に話しかけ、そっと体をなで、目と目を合わせようとしました。彼女が私の手を感じ、この世を去る瞬間、最後に見たものが私の顔であってほしいとの思いからです。どんな生きものであれ、ペットを飼っている人は誰しも、この「恐ろしい日」が早晩来ることを知っています。しかし、その動物が真に家族の一員になったとき、依然として、その死にどう立ち向かうべきか、自問せざるをえないのです。私は10年以上前、あるシェルターからマロンを譲り受けた日のことを思い出しました。
アーク(アニマル・レフュージ関西)という素晴らしいシェルターでした。あの日から10年以上も過ぎたのでしょうか。

4、5歳のマロンがやってきたその瞬間から、このゴールデンレトリバーが我が家にもたらしたのは、常に変わらぬあたたかさと愛に尽きます。マロンはどんな人に飼われていたのでしょうか。誰であれ、その人は、彼女を子犬から育て上げるという大仕事をやってのけたのです。しかし、マロンの元飼い主について私たちが知り得たのは日本人で(おそらく子どもがいて)愛知県のマンションで暮らしていたことだけ。夫婦が離婚したために犬の面倒をみられなくなったようです。

マロンが近くにある自治体の動物管理センターに捨てられなかったのは幸いでした。日本中の不用ペットは、ほとんどがその種の施設で殺処分されるからです。そのかわりに、飼い主の女性は何時間も車を運転しアークまでやってきました。アークなら、マロンにふさわしい、あたたかい家庭を見つけてくれるはずと思ったからでしょう。そして、後に私たち家族がマロンに関わることになったのです。

マロンが元の家族から受けた愛を新しい家族である私たちにどのようにお返ししてくれたかを話せばきりがありません。最初から私たちは彼女が示す愛情に圧倒され、虜になってしまったと言えば十分でしょう。私自身は、マロンと過ごした10年間で動物の心理を前よりも深く理解するとともに、家族の一員であるペットが私たちのことを気にかけてくれるかを知ったのです。

ただし、そのことを考慮しても、マロンは番犬としては「ダメ犬」だったと言わざるを得ません。それが誰であれ、決して人を疑うことも、怪しむことも知らなかったのですから。マロンは玄関先に誰かが来ると、郵便屋さんでも宅配業者でも、真っ先に前庭の門までとんでいきます。お気に入りの宅配業者であっても、まず自分を抱きしめてからでなければ、前庭のゲートからの出入りを許さなかったのです。

数ヶ月前にも、こんなことがありました。市のシルバー人材センターから庭師がやってくる日でした。二人の庭師がまる一日がかりで前庭と裏庭の植木を剪定したり、枝を切ったりしました。仕事が終わり、帰る時間になって、リーダー格の男性が「犬はどこかな」とききました。どこへ行ったのだろうと私が前庭と裏庭を捜して戻ってくると、マロンはもう自ら親方を見つけていました。年配の庭師と彼女は今日が初対面だというのに、彼はマロンを相手にかがみ込み、マロンはと言えば、ちぎれんばかりに尻尾をふっているではありませんか。

近づくと、庭師が犬にそっと話しかけていました。全部は聞き取れませんでしたが、わかったのは「ありがとうね」という言葉でした。忙しく働く彼らに一日中つき合ってくれたマロンに礼を言っていたのです。それは感動的なシーンでした。心やさしいマロンは誰からも愛されていたのです。


別れのとき

今まさに、途中から加わった家族に別れを告げるときが来ていました。自分がその役を努めようと私は決心していました。彼女の傍らにすわってアイコンタクトを交わし、体をなでて、私たちがそばにいるよと伝えていたとき、彼女はそっと旅立ちました。彼女の肉体が役目を終え、数日間荒かった呼吸が静まっていきました。その朝、医師から助言を受けていたので、私は冷静でした。彼女の動悸が次第に遅くなり、苦しげな呼吸の感覚が遠くなるのを感じました。そして、呼吸停止、心肺停止、目の動きも止まりました。「死んだよ」と私は傍らの妻に言いました。

その瞬間、予期せぬことがおきました。マロンの動悸が戻り、呼吸が回復したのです。妻は安心しましたが、一時的な現象だと私にはわかっていました。マロンの意識はすでになかったはずです。そして、呼吸が再び遅くなり、心拍数も同様でした。体が硬直し、かすかに感じられていた鼓動が止みました。彼女はこの世を去ったのです。

私はかがみ込んで、ふわふわ毛におおわれた耳にキスをし、日本語で「がんばったね」と声をかけてやりました。実際、彼女は最後まで頑張りました。私の見ている前で、最期のひと息まで生き抜いたのです。ベトナムの高僧、ティク・ナット・ハンの教えが突然よみがえったのはその瞬間でした。

「あなたの呼吸の力に絶えず感謝しなさい。なぜなら、生と死をわけるのも、かすかなひと息だからです」なんという真実でしょう。私は、生まれて初めて、たった今「それ」に立ち会ったのです。

最期の瞬間まで、私は平静を保とうと努めてきました。しかし、マロンが私の手からはなれてしまったと感じるや、涙がとめどなくあふれ、コンクリートの床を濡らしました。マロンは騎馬兵のように勇敢で、最後の最後まで雄々しく闘いました。私が慰めを見出せるとすれば、死の旅路に向かう彼女が最後に感じたのが私の存在と手の感触であったということです。

結局のところ、10年間我が家に愛をもたらしてくれた彼女にお返しとして最後に与えることができたのは、それだけだったのです。もし、ペットの犬が太陽のように広い心を持つことができるとすれば、マロンはまさに持っていたのです。

飼っていたペットを失った後、あからさまに感情をあらわすなんて感傷的に過ぎる、これまで私はそう思っていたのですが、今ならその気持ちがわかります。私は悲嘆にくれています。この文を書きながらも、悲しみと感謝の気持ちが入り交じった思いに打ちのめされています。他に書くべき仕事を抱えながらも、今は、最愛の家族、生きることの意味を妻と息子に教えてくれた彼女に哀惜の念を表わすことしか手につきません。私は悟りました。「生きるとは、つまるところ、ひとつの呼吸である。自らも誰にとっても、ひとつの呼吸がもうひとつの呼吸を導き、限りある生涯を通して、ひと息、またひと息、呼吸が生み出されていく。ある瞬間、ひとつの呼吸が奪われたとき、その者はすでにこの世にいないのだ」と。この真実を知った今、最愛の友を喪った悲しみに少しは耐えられる気がします。春の曇り空を眺めながら、今の私はそういう心境なのです。


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