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YOKOHAMA, CALIFORNIA
Toshio Mori
University of Washington Press 2015
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カリフォルニア州ヨコハマ町
トシオ・モリ 著|大橋吉之輔
毎日新聞社 1992

本の中にはその文学的な質の高さゆえに重要なものもあれば、その長期に渡る歴史的価値において貴重なものもあります。また一方で、その著者の名前ゆえに有名であるものもあります。この本の類いまれな点はそれら三つの要素と、さらにそれ以上を兼ね備えているところにあります。

カリフォルニア州ヨコハマ町へようこそ-これは米国西海岸の実在する州にある、アメリカ日系2世の作家、
トシオ・モリ(1910―1980)の心と筆で創り出された架空の町です。1920年代、1930年代のサンフランシスコ湾岸地帯の典型的な日系アメリカ人社会を舞台に、そこで暮らす人々についてモリが書いたこの物語集は、日系アメリカ人小説の最初の作品だと言われています。

モリはカリフォルニア州オークランドで生まれ育ちました。彼の22本の短編がまとめられているこの撰集は当時米国の様々な雑誌に掲載されていました。デジタル時代の今と違って、当時の短編の執筆というのはそれ自体が一つの芸術形式であり、作家はほんの数頁で話を語り、読み手にいつまでも強い印象を残すことに長けた職人でなければなりませんでした。

そして、モリは
『カリフォルニア州ヨコハマ町』の中で、洞察力、他者への共感、ユーモア、そしてウィットを通して、大変巧みにその技術を披露しています。そのウィットというのは、移民少数派として米国で暮らし、様々な浮き沈みを経験し乗り越えてきた家庭出身の作家によく備わっている人情味あふれる民衆の才知といったようなものです。

このようにしてモリは、架空の普通の人々や日系アメリカ人社会の風変わりな特性を、そして日々の活動の中で、彼らがどのように関わり合っていたかを、私達に伝えています。例えば「七丁目の哲学者」の中に、モトジ・ツノダという人物が登場します。彼は熟慮する男で人生の大半を人生の本当の意味について考えることに費やしますが、その日系社会の誰からも真剣に受け止めてもらえません。また「三人の日本の母」では、広島の同じ村出身の仲の良い母親グループが米国での暮らしや家族について話す最新ニュースに魅せられます。

私がこの本の中でトシオ・モリが独創的で熟達した短編小説の職人であると最も感じた章は「サトル・ドイの株式操作」です。この章の中に登場するのはドイという靴修理店の店主で、株式市場を叩き(つまり投資利益率で株式平均を上回り)、いつか金持ちになるという考えに取りつかれている男です。作家であるモリはこの章を次の引用にあるように、世界の勝者と敗者について共感と辛辣さで締めくくっています。

「経済欄の切り抜きにかこまれて坐っている彼は、例のまなじりを決した表情で顔を輝かせ、自分には不可能はないと言わんばかりであったが、少なくともこれまでのところは失敗続きで、不可能を可能にすることはできなかったのである。私はそのとき、サトル・ドイの小さな世界には、哀れな希望と惨めな失敗のくりかえしである彼の人生を立て直し、彼が自尊心と人間らしい威厳を取り戻すのに役立つような、何か変化は起こらないだろうかと思った。」

この本のいくつかの章は、ある種苗店を背景に描かれています。というのは、モリは売れない作家だったので、父親が経営する種苗店で正社員として働いていたからです。ですからモリは日中は種苗店で働き、夜に執筆していました

モリは1941年に出版契約を結んでおり、その作品『カリフォルニア州ヨコハマ町』は1942年の初頭に出版されるはずでした。しかし、残念なことに、戦争がこの出版計画を台無しにし、待望の本の出版は見送られることとなりました。

日本軍が1941年12月に米軍領・ハワイ諸島にあるアメリカ海軍基地を攻撃しました。その数ヶ月後の1942年2月、フランクリン・ルーズベルト政権は当時米国に居た約12万人の日本人を即座にいわゆる「収容所」(「強制収容所」がより正しい意味を示しているかもしれません)へと送るように指示しました。

1942年10月、トシオ・モリとその両親はカリフォルニアのオークランドから(政府の表現で言うところの)
トパーズ戦争移住センターへと送られました。ここはユタ州の砂漠にある有刺鉄線が張りめぐらされた施設で約9000人の日系アメリカ人が収容されていました。(モリの兄は当時海外で米軍兵として、日本軍と戦っていました。)

1945年7月、日本の敗戦が色濃くなった頃、モリとその両親はトパーズ強制収容所から解放され、オークランドの自宅へ帰ることが許されました。収容されてから3年後のことでした。その数年後、モリの本の出版社が彼の保留されていた本のプロジェクトを復活させ、1949年に『カリフォルニア州ヨコハマ町』は初めて出版されたのです。7年かかってやっとモリの本は世に出ることができました。

今では、この本には新たに二つの章が付け加えられています。幾分暗めですが、より自伝体で書かれた短編で、これらはもともと印刷される予定ではない作品でした。一つはモリがトパーズ収容所に居た時に書いた話で「子供たちよ」というタイトルです。これは日本人移民の祖母が自分の日系三世の孫を寝かしつける時に米国の家族について語った話です。これは胸が張り裂けそうでありながら、また同時に希望に満ちた美しい作品で『カリフォルニア州ヨコハマ町』の巻頭の章です。

追加されたもう一つの章は、モリが「日本人の顔を持ったアメリカ人」というタイトルを付けた短編です。これは1941年12月に日本がハワイの真珠湾を軍事侵略したというニュースを聞いた、ある日系家族の体験とその後の不安定な日々について書かれた話です。日系アメリカ人の、口には出せない恐怖感がアメリカ社会に広がる中、この家族は米国への忠誠に固執します。

私は最近、ある新聞のデータベースの中からモリの本について書かれた肯定的な論評をいくつか見つけました。これらの論評は1949年に米国全土とカナダの新聞に掲載されたものです。論評を書いた人達の多くはモリの今後の作品を楽しみにしていました。

しかし、残念ながらその後のモリの書いたものはデビュー作品のようなメディアの注目を得ることはありませんでした。そして、ついに『カリフォルニア州ヨコハマ町』は絶版となり、時間と共に、日系アメリカ人社会を含む米国民から忘れられているような状態でした。

2015年に出版されたこの本の最新版は別の意味で希少な本といえます。というのは、それまでの約70年間に、
ゲスト寄稿者達が3本もの前書きを書いているのです。これらの前書によって、この本のたどってきた多難な始まりから現在に至るまでの道のりを追うことができます。

1本目の前書きは1942年に出版予定だった初版(実際は1949年に出版)のために、他ならぬ
ウィリアム・サローヤンによって書かれました。サローヤンは有名なアルメニア系アメリカ人作家で、モリを「おそらく現在アメリカにおける最も重要な新作家の一人である」と称えました。

その一世代後の、社会的に不安定だった1970年代に、モリの長く忘れられていた本が日系三世の詩人、
ローソン・フサオ・イナダによって再認識されました。彼は『カリフォルニア州ヨコハマ町』を米国西海岸の古本屋で偶然見つけました。

1980年、モリは彼が生まれ育ったサンフランシスコの湾岸地帯で亡くなりました。70歳でした。彼は『カリフォルニア州ヨコハマ町』では、ずいぶんと雄弁でしたが、存命中にはその本が再版されるのを目にすることはありませんでした。その数年後の1985年、第2版に前書きを書いたのが詩人であるイナダでした。彼はその前書きの中で、その歴史的重要性を強調しました。イナダは次のように書いています。「これは一冊の本というより、もはや遺産であり、伝統です。これは、ねばり強さ、つまり日本人という民族の特質を具現化したものというべきです」

1990年代には『カリフォルニア州ヨコハマ町』への関心が高まり、新たな世代に読者が生まれたので、毎日新聞社(以前、私はこの新聞社で記者として働いていました)が1992年に日本で、この本の翻訳を出版しました。しかし、残念なことに、この日本版はこの国で長く絶版になっています。出来ることなら、どこかの出版会社がこの本を新たに出版し、現代の読者や学生達の目に触れることを望むばかりです。

そして、2015年に出版された米国版第三版に前書きを書いたのは、現在カリフォルニアの大学で教えている英語教授、
シュウ・ジャオジンです。彼女は『カリフォルニア州ヨコハマ町』のこの新版を「典型的な日系アメリカ人の本であり、アジア系アメリカ人の本であり、そして、アメリカの最高傑作である」と述べています。語学と民俗学の学者として、シュウは、この本が世界中のアジア文学の最高傑作の仲間入りを果たすのに貢献しました。

この本は初めて出版されてから70年近くが経ち、一度は忘れられたものの、慎ましいながらも、そのスタイルと内容に力強さがあり、時代を超えて生き残り、まさに独自の地位を確立しています。この本は、その高い文学的な質、歴史的重要性、知名度、そして、ある分野で尊敬を集める作家の作品であるという、偉大な作品の全ての要素を持ち合わせています。そして、何よりも、心に語りかけてくる作品なのです。

『カリフォルニア州ヨコハマ町』は何十年にもわたる読者に刺激を与えてきました。そして、間違いなく今後も読者をひきつけてゆくでしょう。この本を自分自身の手に取って体験してみて下さい。そうすれば、きっとインスピレーションを感じることができるでしょう。
Some books are important for their high literary quality, while others are significant for their long-term historical value. Still other books are renowned for the name of the author alone. This book’s uniqueness qualifies it for all three of these categories combined, and then some.

Welcome to Yokohama, California — a fictitious town in a real-life state on the west coast of the United States, created by the mind and the pen of Toshio Mori (1910-1980), a second-generation Japanese-American writer. This collection of stories by Mori, centering on the people of typical Japanese-American communities in the San Francisco Bay Area region around the 1920s and 1930s, is said to be the first work of Japanese-American fiction.

This is an anthology of 22 short stories that Mori, who was born and raised in Oakland, California, had gotten published in various magazines in the United States up to that time. Unlike today in this digital age, short-story writing back in those days was an art form in itself, and an author had to be a craftsperson skilled at telling a story in just a few pages and leaving the reader with a lasting impression.

And Mori does this most skillfully in Yokohama, California with perceptiveness, empathy, humor and wit — what I call the kind of warmhearted “folk wit” often found in writers from families that have lived through the immigrant minority experience in the U.S., with all the ups and down that experience entails.

Thus, we are introduced by Mori to a fictitious variety of ordinary folks and eccentric characters within local Japanese-American communities, and the ways they relate and interconnect amid all the goings-on of daily life. In the chapter “The Seventh Street Philosopher”, for example, we encounter Motoji Tsunoda, a deep-thinking man who spends his time pondering the true meaning of life but who is rarely taken seriously by others in the community. In the chapter “Three Japanese Mothers”, we are charmed by a close circle of maternal friends who hail from the same village in Hiroshima, Japan and by the latest news they share about their lives and families in the U.S.

“The Finance Over at Doi’s” is a chapter that, for me, typifies Toshio Mori’s creative mastery of the short story form in this book. It deals with Mr. Doi, a shoe-repair shop owner obsessed with beating the stock market (on paper, anyway) and striking it rich someday. Author Mori ends the chapter this way, both empathetic and piercing in its observation of the winners and losers of the world:

He sat there among the stacks of financial papers, his face shining with the fierce look that is characteristic of him, the capable-looking face that could accomplish the impossible but did not and could not, having failed thus far. I wondered then and there if there would be anything like a change in his little world or in Satoru Doi which would reconstruct his life of pathetic hope and miserable failures, help him to regain some kind of respect for himself and the dignity that is deserving to the living.

A few chapters in the book take place against the backdrop of a plant nursery shop, which is natural considering that Mori, as a struggling writer, was also working full-time at a local Japanese nursery owned by his father. Mori worked at the nursery by day and did all of his writing at night.

Mori had a book deal concluded in 1941 and the resulting work, Yokohama, California, was set to be published in early 1942. War, unfortunately, messed up those publishing plans and the eagerly awaited book was shelved.

Japan’s military attacked an American naval base on the U.S.-occupied islands of Hawaii in December 1941. A few months later in February 1942, the U.S. government under president Franklin Roosevelt began summarily rounding up and forcibly evacuating about 120,000 persons of Japanese ancestry in the U.S. to so-called “internment camps” (concentration camps would have been a better way to describe them).

In October 1942, Toshio Mori and his parents were sent from Oakland, California to the innoxious-sounding Topaz War Relocation Center, a camp imprisoning about 9,000 Japanese-Americans behind barbed wire in the barren Utah desert. (Mori’s brother was overseas with the U.S. army at the time, fighting against the Japanese military.)

In July 1945, with Japan nearing defeat in the war, Mori and his parents were released from the Topaz camp after three years and allowed to return home to Oakland. A few years on, Mori’s book publisher revived his dormant book project and had Yokohama, California printed in 1949 for the first time. It took seven years, but Mori’s book was finally out.

Included in the book now, though, were two additional postwar chapters — somewhat darker, more autobiographical-type short stories that were not in the originally planned edition. One was a story that Mori wrote while imprisoned at the Topaz camp, entitled “Tomorrow is Coming, Children”. This is a story told in the voice of a Japanese immigrant grandmother to her third-generation Japanese-American grandchildren at bedtime, relating the tale of their family in the U.S. It is a beautifully written piece, heartbreaking but hopeful at the same time, and it is the leadoff chapter in Yokohama, California.

The other additional chapter was a short story that Mori entitled “Slant-Eyed Americans”. It is the story of one Japanese-American family’s experience of hearing the news of the Japanese military invasion of Pearl Harbor, Hawaii in December 1941, and the uncertain days that followed. The family members in the story cling to their loyalty to the United States over Japan, amid an unspoken sense of dread for what lies ahead in U.S. society for Japanese Americans.

In a newspaper archive database, I recently found several positive reviews in 1949 for Mori’s book that were carried in newspapers across the United States and in Canada. Reviewers generally looked forward to seeing more of Mori’s works in the future.

Alas, Mori’s later writings never garnered the media attention of his debut book, and eventually Yokohama, California went out of print, all but forgotten over time by the American public, including by the Japanese-American community.

The newest incarnation of this U.S. book, published in 2015, is unique in another sense: It contains not one, not two, but three forewords written by guest contributors over a period of about 70 years. In these three forewords, we can follow the book’s journey from its rough beginnings right up to today.

The first foreword for Yokohama, California was written for the originally planned edition of the book in 1942 (and updated in 1949) by none other than William Saroyan, the famous Armenian-American author, who praised Mori as “probably one of the most important new writers in the country at the moment”.

A generation later in the socially volatile 1970s, Mori’s long-forgotten book was “rediscovered” by third-generation Japanese-American poet Lawson Fusao Inada, who came across Yokohama, California in a used-book store on the U.S. west coast.

In 1980, Mori, at age 70, passed away in the San Francisco Bay Area — the place he was born and raised, and wrote about so eloquently in Yokohama, California — never having seen his first book reprinted during his lifetime. It was poet Inada, a few years on in 1985, who penned the foreword for a second published edition of Mori’s book, reinforcing its historical significance. Inada wrote: “This is more than a book. This is legacy, tradition. This is the enduring strength, the embodiment of a people….”

In the 1990s, with interest in Yokohama, California revived and growing among yet another new generation of readers, a Japanese-language translation of the book was published here in Japan in 1992 by the Mainichi newspaper company (my former employer as a news reporter). This Japanese edition, unfortunately, has long been out of print in Japan; hopefully a publishing company in this country will release this book anew and bring it up to date for contemporary Japanese readers and students.

And most recently, the foreword for the third U.S. edition of this book, published in 2015, was contributed by Xiaojing Zhou, a professor of English from China who is now teaching at a university in California. She calls this new edition of Yokohama, California “a quintessentially Japanese American book, a book from Asian America, and an American classic”. As a scholar of language and ethnic studies, Zhou helps to elevate the book to its well-deserved place among Asian literary classics worldwide.

Nearly seven decades after it first came into print, this once-lost book, humble yet powerful in both style and substance, has stood the test of time and truly come into its own. It has all the elements that make for a great work of writing: high literary quality, historical significance, and the name recognition of a well-known and respected author in his field. Best of all, it is a book that speaks to the heart.

Yokohama, California has inspired readers over several generations, and will no doubt continue to inspire for many more years to come. Pick this book up and experience it for yourself. Inspiration will be yours too for the taking.
音楽 music
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YOKOHAMA, CALIFORNIA
Yokohama, California
2016
上記の本の著者、トシオ・モリに刺激を受けた者達の中には北カリフォルニアの日本人の血を引くアメリカ人音楽グループもいました。彼らは1970年代に唯一のLPレコードを発表しました。そして自分達のバンド名もアルバムのタイトルもモリの著書『カリフォルニア州ヨコハマ町』から取りました。この本は世代のギャップを超えて文化的遺産を後世に伝える作品です。

ヨコハマ・カリフォルニアは当時、ほとんどのメンバーが米国の西海岸に住む日系三世達でした。彼らは文化イベント、抗議集会、大学の劇場などで演奏していました。彼らが自分達の歌を作ったり、適度な規模のコンサートで演奏したりしたのは、利益やヒットチャートの順位を上げるためというより、社会的懸念からの、そして文化的アイデンティティを肯定するためでした。

40年が経った今、そのバンドとレコードがデジタル時代の新たな世代の聴衆に再び紹介されています。米国と日本の、そしてとりわけ日系社会の音楽史における、そのバンドが占める重要な地位が、ついに国際レベルで認められ、評価されています。

ヨコハマ・カリフォルニアというバンドのルーツをたどると、それは恵まれない生い立ちにあり、1960年代から1970年代初頭へとさかのぼります。この頃はアジア系アメリカ人運動があった時代です。そして、東南アジアの国、ベトナムで米国の戦争があった時代でした。社会的、民族的な領域を超えた若者達が怒り、エネルギーに燃えて、変化を求めた時代でした。アジア系アメリカ人もその例外ではありませんでした。

1973年には、アメリカでのアジア人の闘いを歌った、『
A Grain of Sand』(砂の一粒)が発表されました。これはアジア系アメリカ人による史上初の音楽アルバムで、日系三世であり、活動家のクリス・イイジマとノブコ・ ジョアン・ミヤモトがニューヨークで発表しました。この画期的なレコーディングに刺激と影響を受けて、カリフォルニア州西海岸の日系の若者達も彼ら自身の時節を反映した歌を書き始めました。

これらの西海岸の若者達を引き合わせた社会的ネットワークは「セコイア湖リトリート」と呼ばれるキリスト教徒の日系アメリカ人の若者を対象にした年1回のサマーキャンプでした。これはカリフォルニア州中部にある国立公園付近の荒野で催されていました。ヨコハマ・カリフォルニアというバンドの音楽的ルーツは1970年代半ばの、そういったスピリチュアルなキャンプにつながっているのかもしれません。

そのキャンプに参加した一部の若者達は自分達が作った曲をキャンプに持ち込み、その期間にそれらの曲に新たな曲を補足し、さらに洗練させました。そして、その後、正式にヨコハマ・カリフォルニアというバンドとして9曲をスタジオでレコーディングし、1977年に
セルフタイトルのアルバムを発表しました。

アルバムの表ジャケットにはカリフォルニア州北部、サンノゼ市の
ジャパンタウン(日本町)の人気レストランの前で5人の主要メンバーが写っています。この場所はこのバンドの活動拠点でした。バンドメンバーの一人が寿司や他の日本食の皿を持ち上げています。その姿はまるで誇らしげに、人の身体や精神状態は何を食べるかで決まる、と宣言しているかのようです。

アルバムの中の音楽的デリカシーについて言えば、このアルバムは、バンドのメンバー達がキャンプの時によく一緒に歌った曲から始まっています。それは「タンフォラン」というタイトルの、サンフランシスコのそばにある元競馬場についての曲です。

タンフォラン競馬場は1942年当時、米国各地の強制収容所に送る前に何万人もの日系市民を集めておくための一時的な集合センターの一つとして使われていました。当時、カリフォルニアの多くの競馬場は、この様な目的で使用され、そこに集められた家族は、競馬場の馬を飼っておくための厩舎の中で寝泊まりしなければなりませんでした。これは許し難い扱いでした。

バンドメンバーである、ピーター・ホリコシとサンドラ「サム」タキモトの書いた歌詞は、タンフォランや世界第2次大戦中の日系人を強制監禁していたその他の収容所の汚れた過去を思い出させます。(上記のオーディオクリップをご覧下さい)アコースティックギタリストのホリコシはこのバンドで主に歌詞を書いていた一人ですが、このレコードで歌っていたメンバーの中で、最も力のある歌い手は明らかにタキモトでした。メインボーカルにしろ、ハーモニーで歌うにしろ、彼女には高い歌唱の才能がありました。

オリジナルアルバムに収録されている9曲のうちで「タンフォラン」は直接日本と関係する2曲のうちの一つです。もう一曲は「ホット・オーガスト・モーニング」で、やはりホリコシの作詞です。この曲は1945年8月6日と9日に日本の広島と長崎に米国の原爆が落とされたことについて書かれています。「空を見上げB-29を探しても、今日は飛んでこない」と、ホリコシは歌っています。

キーボード奏者で日本人とフィリピン人の血を引くロバート・キクチ=インゴーホは、北カリフォルニア州のフィリピン社会の「マーノン(古老)」を敬う曲を書いています。また「ディファレント・ピクチャー」という曲で、彼はアジア系アメリカ人に対する典型的で下劣なメディアのイメージを批判しています。そして、彼のコンゴの曲「ヴェジタブルズ」では、アメリカ人の食卓を満たすために肉体労働をするカリフォルニアの農場労働者達について書いています。また、この曲は1960年代のアフリカ系アメリカ人バンド、ラスト・ポエッツを彷彿とさせます。

では、このバンド名とトシオ・モリの著書『カリフォルニア州ヨコハマ町』のつながりとは一体何なのでしょうか。もし具体的なつながりがあるとすれば、ギタリストで作曲家のマイケル・オカザキの書いたアコースティックナンバー「トゥモロー」(明日)の中にあるかもしれません。この曲は、モリの本の第一章「子供たちよ」に影響を受けたのかもしれません。というのは、オカザキの歌詞とその章には少し類似点が見られるからです。

2016年にこのアルバムが新しいCDとして再発売されるにあたり、7曲のボーナストラックが加えられています。それらは1977年にカリフォルニア州サンノゼ市の大学コンサートでのライブ演奏です。これらのボーナストラックの音質は正直に言って、それほど良くありませんが、今ではこのバンドの短い歴史を語る貴重な記録として役だっています。

その他に、バンド、ヨコハマ・カリフォルニアの話にはエピローグが付いています。それは音楽評論家もよく見落としがちなのですが、このバンドのメンバーによってレコーディングされた非常に珍しい、そして最も過激な曲が存在するのです。しかもその曲は1977年のオリジナルアルバムにも、またこの新しいCDにも収録されていないのです。

それは「リー・チョルスのバラード」というタイトルの抗議のフォークロックです。この曲は1978年に45回転のシングルレコードとして、その曲だけで録音され、発表されました。そして、このレコードはリー・チョルスの正当防衛を主張する資金集めのために広く一般に売られました。彼は米国に移住した韓国系アメリカ人で、サンフランシスコの中国人街のギャングを殺害した罪で不当逮捕され、1973年に有罪判決を受けました。ヨコハマ・カリフォルニアのバンドメンバーの数名がこのレコードの作曲活動に参加しました。
ここから聴けます。希少価値があります。

その後まもなく、ベトナム戦争が終わりを告げ、ヨコハマ・カリフォルニアのメンバー達はそれぞれの生活へと移っていきました。大学での勉強を続ける者もいれば、別の分野の音楽や教育に携わる者もいました。(例えば、ギタリスト兼ボーカリストだったキース・イノウエはサンノゼ市のキリスト教の教会牧師になりました)このバンドメンバー達はその後、最初のアルバムを補足するようなレコーディングは一切していません。

(1979年に彼らの音楽のバトンを受け取ったのは日系三世バンドの
ヒロシマです。このバンド名は日本の都市、広島にちなんで付けられました。長年にわたって、ヒロシマはロサンゼルスを拠点に活動し、伝統的な日本音楽と現代的なアメリカ音楽を融合させたスタイルで素晴らしい一連のレコードを発表してきました。そして、このバンドは今もレコーディングやコンサートツアーを続けています)

そして、最後に記したいのは、私がこの新しいCD『ヨコハマ・カリフォルニア』に間接的なつながりがあるということです。私は、このCDの日本語のライナーノートの翻訳者が神田稔だということを知り、非常に喜びました。彼は日系の文学や音楽の大ファンで、また奈良県にある種子会社の社長です。私は1990年代に日本で神田氏と知り合いになりました。共にインターネット初期のオンラインフォーラムのメンバーだった時、私達は日本や米国の様々な音楽に対する共通の趣味を知り、その後、個人的に会い、その共通の興味でよく盛り上がりました。

長い間連絡を取っていませんでしたが、最近発表されたこのCD『ヨコハマ・カリフォルニア』を通して、長い年月を経ても尚、私達は共通の興味を持っていることを知り、うれしく思ったのです。(ここから神田氏自身の
オリジナルコレードの詳しい批評を読むことが出来ます。また、ここから、昨年催された神田氏とヨコハマ・カリフォルニアの数名のメンバーとのトークイベントも見ることが出来ます

最後に『ヨコハマ・カリフォルニア』を皆さん自身で聴かれることを強くお勧めします。CDはお好きなオンラインショップでも、この
バンドの公式サイトからでも、購入可能です。米国で二番目にレコーディングを果たした日系三世バンドとして、ヨコハマ・カリフォルニアが米国の音楽史にプラスの貢献をしたことは間違いありません。これは豊かな日米間の音楽と文化による絆です。私達はこのCDに耳を傾け、鑑賞し、そしてこの絆を今後もずっと忘れるべきではないのです。私は必ず続けていくでしょう。
Among those who were inspired by the above book by author Toshio Mori was a group of American musicians of Japanese descent in northern California, who released their one and only LP record in the late 1970s. The band borrowed its name, and the album title, directly from Mori’s book Yokohama, California — a passing down of cultural heritage across the generational divide.

Yokohama, California was at the time a band of sansei (third-generation) Japanese-American musicians on the west coast of the United States, who played at cultural events, protest rallies, the university circuit and so on. They composed their own songs and played modestly sized gigs more out of social concerns and an affirmation of their cultural identity than for profit or to climb the pop charts.

Forty years later, both the band and the record are now being re-introduced to a new generation of audiences in the digital age. The band’s important place in the musical history of the United States and Japan, and of the Asian-American community in particular, is at last being acknowledged and appreciated at an international level.

Tracing the roots of the band Yokohama, California to its humble beginnings, we are taken back in time to the late 1960s/early 1970s, during the Asian-American Movement, as it was known. It was the time of the United States’ war on the southeast Asian nation of Vietnam, and young people across the social and racial spectrum in the USA were outraged, energized and demanding change. Asian Americans were no exception.

The year 1973 saw the release of A Grain of Sand: Music for the Struggle of Asians in America, the first-ever Asian-American music album, led by third-generation Japanese-American artists/activists Chris Iijima and Nobuko Joanne Miyamoto in New York. Inspired and influenced by this milestone recording, some young Japanese-American musicians over on the west coast in California began writing topical tunes of their own.

The social network that brought these young, west coast people together was the Lake Sequoia Retreat, a yearly summer camp for Japanese-American youth of the Christian faith held in the wilderness near a national park in central California. The roots of the music of the Yokohama, California band can be traced right back to those rural spiritual retreats in the mid-1970s.

Some of those young retreat members took a few songs they had composed and shared during the retreats, refined them, supplemented them with new tunes, and then recorded the nine tracks in the studio formally as the band Yokohama, California for their self-titled debut album, released in 1977.

The front cover of the album shows the five core members of the band in front of a popular eatery in the Japantown (or “J-town”) district of San Jose in northern California, where the band was based. One band member holds up a plate of sushi and other Japanese food, as if to proudly declare: You are what you eat.

As for the musical delicacies found within, the album Yokohama, California kicks off with one of the band’s often-shared songs from the retreat camp, “Tanforan”, about a former horse-racing track near San Francisco.

The Tanforan racetrack was used back in 1942 as a temporary “assembly center” for the rounding up of tens of thousands of Japanese-American citizens, before they were shipped off to the various internment camps around the United States. Many such racetracks in California were used for that purpose at the time, and Japanese-American families who were there had to live for a while inside the stables that once were used to house horses at the racetracks, an unforgivable situation.

Penned by band members Peter Horikoshi and Sandra “Sam” Takimoto, the song lyrics remind us of the tainted past of Tanforan and other such “homes” of forced confinement for Japanese Americans during World War II. (Check out the audio clip above.) While acoustic guitarist Horikoshi is one of the main songwriters in the group, the real vocal powerhouse among all the singers on this record is clearly Takimoto, whether singing lead or doing harmony vocals. She has some serious vocal chops.

Out of the nine tunes on the original album, “Tanforan” is one of only two songs that relate directly to Japan. The other one is “Hot August Morning”, also written by Horikoshi, which deals with the U.S. atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, Japan, on 6 and 9 August 1945. “Check the skies for B-29s that will not come today,” Horikoshi sings.

One song, written by keyboard player Robert Kikuchi-Yngojo, who is of third-generation Japanese and Filipino descent, honors the “manongs” (elders) of the Filipino community he remembers in northern California. In “Different Picture” he criticizes the typical, often degrading media images of Asians in U.S. society. And in his conga-driven tune “Vegetables” — reminiscent of the African-American band The Last Poets of the 1960s — he tells of the California farm laborers whose backbreaking work supplies American dinner tables with food at meal times.

Then, what about the band’s name and its connection to the book Yokohama, California by author Toshio Mori? Well, if there is any tangible connection, it could perhaps be found in the acoustic number “Tomorrow” by guitarist/composer Michael Okagaki, which may have been inspired by the opening chapter in Mori’s book, entitled “Tomorrow is Coming, Children”. The lyrics in Okagaki’s song bear a slight resemblance to that book chapter.

For the new CD re-release of this album in 2016, seven bonus tracks of the band performing live at a university concert in San Jose, California in 1977 are featured. The sound quality of these bonus tracks, to be honest, is not that good. But since most of the bonus cuts were not released on the original studio LP, they do serve now as an important document of the band’s brief history.

Beyond that, there is also an epilogue to the story of the band Yokohama, California that music reviewers often seem to miss: What was arguably the rarest and most “radical” song recorded by members of the Yokohama, California band was one that never appeared on the band’s original 1977 album and is not on this new CD edition either.

It is a folk-rock protest song called “The Ballad of Chol Soo Lee”, and it was recorded and released independently as a 45-rpm single record in 1978. Many vinyl copies of the song were pressed and sold to the public to help raise money for the legal defense of Chol Soo Lee, a Korean-American immigrant to the United States who was falsely arrested and convicted in 1973 for the murder of a Chinatown gang figure in San Francisco, California. Several of the Yokohama, California band members took part in the composing and performing of the song on the record. Have a listen to it here; it’s a real rarity.

Not long after that, with the Vietnam war now over, members of the Yokohama, California band moved on with their individual lives, continuing their university studies or getting involved in other areas of music and education. (One member of the band, guitarist/vocalist Keith Inouye, went on to become the pastor of a Christian church in San Jose.) The band members never recorded a follow-up album to their first one.

(Picking up that musical baton in 1979, by the way, and carrying it forward from there was Hiroshima, another sansei Japanese-American band named after a Japanese city. Over the years, Hiroshima, based in Los Angeles, has released a series of great records fusing traditional Japanese and contemporary American musical styles; the band still records and tours today.)

And lastly, I have an indirect connection to the new Yokohama, California CD to share. I was delighted to discover that the translator of the Japanese liner notes for this CD is Minoru Kanda, an enthusiastic follower of Asian-American literature and music, and the head of an agricultural seed company in Nara, Japan. I became acquainted with Kanda in the 1990s here in Japan, when we both happened to be members of an online forum in the very early days of the Internet and found we shared a common love of diverse kinds of music from Japan and the U.S. We later met up in person, and often excitedly shared our mutual interests in music.

Though we haven’t made contact for a long time, I’m glad to see with the recent release of the Yokohama, California CD that we both still share the same musical tastes after all these years. (You can read Kanda’s own detailed review of the original record here, and as well as watch a video networking session here briefly featuring him and some members of the original Yokohama, California band held in San Jose last year.)

At the end of it all, I have no hesitation in recommending that you have a listen yourself to Yokohama, California, which you can buy online through your favorite store or via the band’s official website. Yokohama, California’s positive contribution to the musical history of the U.S. as the second Asian-American recording band is undeniable today. It is a link in the rich musical and cultural ties between Japan and the United States that we all should hear, appreciate and remember for a long time to come. I know I will.
映画 film
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NOSTALGIA DE LA LUZ
Patricio Guzmán, director
2010 90 min.
有名なチリ人映画監督、パトリシオ・グスマンの壮大なドキュメンタリー映画『Nostalgia de la Luz 光のノスタルジア』の舞台となったのは、南米チリにあるアタカマ砂漠です。この作品は私達が星や銀河系にひかれる気持ちをかき立て、またその一方で、この地球上での人間のトラウマと苦しみの歴史を思い出させる映画です。

海抜1万フィート以上に位置するこの砂漠の高さは世界中の天文学者が天体の動きを間近で研究するのに理想的な場所であり、いくつかの観測所も置かれています。地球上で最も乾燥度が高く、最も湿度の低い砂漠であるこの場所は、考古学者達をもひきつけています。彼らはここで地面を掘り返し、古代の原住民達のミイラ化した状態の良い遺体や工芸品を研究しています。その先住民達はヨーロッパの征服者達がやってくる何千年も前からここで暮らしていたのです。

グスマンは生涯にわたって天文学に強い興味を抱いていました。その強い思いが観客をひきつける仕掛けにつながっています。グスマンは映画の幕開けに南米大陸の最南端からそう遠くないアタカマ砂漠の息を呑む程美しい風景で観客を引き込みます。また、この砂漠の中の観測所で働くチリ人の天文学者達が登場し、彼らが使う巨大な望遠鏡が実際にどのように作業をしているのかを見せてくれます。

映画の中のインタビューの場面には、その強力な望遠鏡で撮影された宇宙の鮮明な画像が広がり、シンセサイザーの旋律が流れ、見る者の五感を満足させてくれます。

映画の半ばに差しかかった頃、このアタカマ砂漠に頻繁にやってくる別のグループが登場しますが、彼らがこの砂漠を訪れる理由は天文学者や考古学者達とは大きく違っています。

彼らはこの砂漠にあるカラマ市の女性達で、行方不明者の親族です。1973年の軍のクーデターでチリ軍によって連れ去られ、その後会えなくなった、夫や兄弟、また愛する人達を探しているのです。女性達は毎日砂漠へ出て行き、スコップのようなもので地面を掘り、愛する人達の遺体を探しています。彼らの望みは、人々の予想に反して遺体を探し出し、長年引きずってきた心の痛みを癒すことです。

「(アタカマ砂漠の)天体望遠鏡で空の星だけでなく地上を見渡せればいいのに。遺骨が探せるように。」と、その女性達の一人、ヴィオレタ・ベリオスさんが涙ぐみながら映画の中で語ります。彼女は長い間行方不明となっている兄のマリオさんや、他の見つかる可能性の低い行方不明者達について話しています。

その女性達の愛する人達は、クーデターの頃に拷問されたり、処刑されたり、行方不明になったりした何千人ものチリ人達の一部です。このクーデターは現在では「
最初の9-11」としてチリ人達に知られています。この残酷なクーデターはチリ陸軍大将、アウグスト・ピノチェトによって1973年9月11日に起こされました。しかし、実際には米国のリチャード・ニクソン政権がこのクーデターを支援していました。

映画監督のグスマンは、今日でさえ、チリでは至って微妙なトピックを、とてもうまく扱い上品な映画に仕上げました。1973年のクーデターやチリ軍による当時の恐ろしい暴力はその後も長い間、チリ社会全体のある種のトラウマとして残ってきました。そして、今もまだ、このトピックをメディアで扱ったり、学校で教えたりすることは控えられている傾向があります。グスマン自身も、祖国のチリを逃れ、自分の初期の作品を何とか国外へ持ち出しました。その後、チリで最も尊敬を集めるこの映画監督は、自らが決めた亡命生活を海外で送り、現在はヨーロッパで暮らしています。

グスマンはこの映画にスペイン語の自身の声で語りを入れています。クーデターの被害者達の遺体の中には今も箱の中に保管され身元を確認されるのを待っている遺体もあります。それら全ての被害者達の遺体は今後、アタカマ砂漠に置かれた巨大な望遠鏡で研究されている天体と同じように深い興味と尊敬で扱われることがあるのだろうか、と映画の途中でグスマンは問いかけています。「決して博物館には展示されない骨もある。星と同じカルシウムで出来ていながら、星と違って名前はない。誰のものだったのか分からない。・・・いったい彼らは、いつか慰霊碑にいれられるのだろうか。いつの日か埋葬されるのか。」

映画の中にはその問いに対する答えはありませんでした。しかし、癒しという点においては、ヴァレンティナ・ロドリゲスの話で語られています。彼女は若い女性で、両親が1973年にチリ政権によって投獄され処刑されました。その後、祖父の元に引き取られ、幼い頃からの星への好奇心は祖父から育てられたものでした。彼女は今では自分の家庭を持ち、チリ有数の天文学協会で働いています。しかし、今もまだ、同世代の他の人達と同じように、何十年も前のあのクーデターのせいで家族を失ったことに悩まされています。

この映画には随所ではっきりとした対比が込められています。それらは、天と地、科学技術と心の問題、自然の美しさと人間の醜さ、などです。しかし、優れた映画制作者であるグスマンは、この映画のいくつかの主題における共通点を強調しています。古代と現代で、一方は宇宙の彼方に、もう一方は地中の奥深くに、過去の歴史の手がかりを探しているという点、そしてもう一つは真実を求める人間の情熱という点です。

パトリシオ・グスマンはずっと私の好きなドキュメンタリー映画監督の一人でしたので、特にここ数年、彼の作品がその価値に相応しい国際的な評価を得ているのがうれしいです。米国の映画配給会社、イーカロス・フィルムズは1973年以降の一連のグスマン作品をパック入りDVDとして発売しましたし、東京のアップリンク映画会社は、見事なパッケージに収められた2枚組DVDを今年の初めに発売しました。この2枚組には『光のノスタルジア』と、私も観るのをとても楽しみにしていた作品であるグスマンの最新作『El Botón de Nácar 真珠のボタン』の日本語版が収められています。また最近ではインターネットで、ますます多くのグスマンのメディアインタビューを見ることができるようになりました。どうやら76歳となったグスマンの星は映画監督として、まだ上昇中で、その能力に相応しい賞賛を獲得しています。

世界中の多くの旅行者がチリのアタカマ砂漠の素晴らしい自然を訪れていますが、もしあなたが、次の休暇のプランで訪れることが叶わないなら、是非ビデオでその素晴らしい自然に触れてみてください。自分へのご褒美として『光のノスタルジア』の鑑賞を楽しみ、いつまでも記憶に残る体験にしてください。この映画を観た後、あなたの見上げる夜空はこれまでとは絶対に違っているはずです。
The Atacama Desert in the South American nation of Chile is the backdrop for this magnificent documentary film by the renowned Chilean director Patricio Guzmán, Nostalgia de la Luz (Nostalgia for the Light), a movie that appeals to our fascination with the stars and galaxies in the vast celestial heavens above us, while also making us remember the human history of trauma and pain right here on Planet Earth.

The desert’s high elevation of more than 10,000 feet above sea level makes it an ideal place for astronomers the world over to come and study the movements of astral bodies up close, and several observatories are based there. The high aridity of the desert as the driest, least humid place on the globe, meanwhile, attracts archaeologists who dig through the ground to study the mummified, well-preserved remains and artifacts of the ancient indigenous peoples that lived in the region for thousands of years before European conquerors ever arrived.

Guzmán’s lifelong fascination with astronomy is the hook that the director uses to open the film and draw the audience into the breathtakingly beautiful environment of the Atacama Desert, located not too far from the southernmost tip of the South American continent. We are introduced to some of the Chilean astronomers who work at the observatories in the desert and can see the how the gigantic telescopes they use actually work.

Interspersed with interviews of people in the film are crystal-clear images of outer space that were taken with such powerful telescopes, accompanied by swirling synthesizer music, which offers a real feast for the viewer’s senses.

About halfway through the film, we meet another group of people who often come to the Atacama Desert — but for very different reasons than the astronomers and archaeologists.

These are the women of Calama, a city located in the desert, who are the relatives of the disappeared: husbands or brothers or other loved ones who were taken away by the Chilean army during a military coup of the country in 1973 and never seen again. The women go out into the desert day after day, with nothing more than hand-shovels to dig with, in search of the bodily remains of their loved ones. They hope against all odds to find them and finally heal the pain they have been carrying in their hearts for many years.

“I wish the telescopes [in the Atacama Desert] didn’t just look into the sky, but could also see through the earth, so that we could find them,” one of the women in the movie, a tearful Violeta Berrios, says about the search for her long-missing brother, Mario, and the other disappeared men who likely will never be found.

The women’s loved ones were among the thousands of other people in Chile who were tortured, executed or disappeared during and after the coup — “the first 9-11”, as it is known by Chileans today. The brutal coup, carried out by Chilean army general Augusto Pinochet on 11 September 1973, was, in fact, sponsored and supported by the United States government
under U.S. president Richard Nixon.

Director Guzmán does a tasteful job of filming what is still a very sensitive topic in Chile, even today. The 1973 coup and the deadly violence that Chile’s military used to carry it out has left Chilean society as a whole with a kind of inner trauma over the years since then, and it is still often taboo in that country to talk about it in the media or learn about it in schools. Guzmán himself fled his native Chile just after the coup and managed to smuggle some of his early film footage overseas; he has lived abroad in self-imposed exile since that time as Chile’s most respected film director, currently residing in Europe.

Guzmán, whose voice narrates this film in Spanish, wonders at some point in the movie when the bodily remains of the victims of that military coup — some of which are still stored in boxes waiting to be identified — will ever be treated with the same deep interest and respect as the celestial bodies being studied through the huge telescopes based in the Atacama Desert: “Today, there are other skeletons that are not in a museum. They are made of calcium, the same calcium stars are made of. But unlike them, they have no names. We don’t know which souls they belonged to. …Will they be placed in a monument one day? Will they be given a burial one day?”

Those questions are left hanging, unanswered, in the film. But as a point of healing, the director does tell the story of Valentina Rodríguez, a young woman whose parents were imprisoned and executed by the Chilean authorities in 1973, and who was raised into adulthood by her grandparents. Her grandfather fostered in her, at a young age, a curiosity about the stars. Rodríguez today has a family of her own, and works for the leading astronomy organization in Chile. Like many of her generation, she is still haunted by the disappearance of family members during the military coup in her country decades ago.

The contrasts found throughout this film are stark: heaven vs. earth, science and technology vs. matters of the heart, the beauty of nature vs. the ugliness of humankind, and more. But Guzmán, the master filmmaker that he is, highlights the commonalities of the film’s subjects — the shared search for clues of past history, both ancient and recent, whether high up in the cosmos or deep beneath the soil, and the passionate desire of human beings to seek the truth.

Patricio Guzmán has long been one of my favorite documentary filmmakers and I am so glad to see his work getting the international appreciation it deserves, especially these past few years. Icarus Films, a movie distribution company in the U.S., has released a compilation set of Guzmán’s works from 1973 onward. The Uplink movie distributor in Tokyo released the Japanese version of this movie earlier this year as part of a nicely packaged double-disc set that also features Guzmán’s most recent work, The Pearl Button (which I eagerly look forward to watching as well). More and more media interviews with Guzmán can be found these days on the Internet. At age 76, it seems, Guzmán’s star is still rising as a film director, and he deserves all the accolades he is getting.

If you can’t make it to the natural surroundings of the vast Atacama Desert of Chile as part of your next vacation plans, like many tourists around the world are doing, then the next best thing would be to catch it on video. Treat yourself to an unforgettable experience and watch Nostalgia for the Light. I promise you this: After seeing the film, you will never look up at the stars in the night sky the same way ever again.