アパルトヘイトに反対する日本
(JAPAN AGAINST APARTHEID)

神野明へのインタビュー

聞き手 ブライアン・コバート

関西の草の根人権運動に少しでも関われば、どのような方法であれ最後には必ず神野明氏にたどりつくことになります。少なくとも過去10年における彼の活動の中心は「アパルトヘイト」」という南アフリカ政府人種隔離政策に対して抗議することでした。この政策の下では、約500万人の白人少数派が少なくともその5倍の数の黒人を支配しています。

38歳の神野氏は関西で南アフリカ問題に最も詳しい活動家だと考えられています。現在、彼は日本反アパルトヘイト委員会の京都支部を率いており、この組織は1981年に彼が立ち上げた南部アフリカ連帯委員会 京都として知られています。

日本はここ数年で南アフリカの最大の貿易相手国となりました(1987年には42億ドルに)。市民レベルのまとまった意見は今や抗議活動に発展し、1年程前には、この国では見られなかったような現象です。おそらくこの現象の一番のきっかけとなったのは『Cry Freedom 遠い夜明け』という映画の上映でした。これは亡命した南アフリカの新聞編集者であるドナルド・ウッズが、黒人リーダー、スティーヴン・ビコとの友情について書いた2冊の本をもとに作られた映画です。スティーヴン・ビコは警察の勾留中に亡くなりました。昨年6月にウッズが来阪した際に、日本での抗議活動は最高潮に達しました。300人もの人々がアパルトヘイトに抗議して大阪の街を行進し、その後、日本に対して南アフリカとの関係を絶つように訴えるスピーチへと続き、非常に盛り上がりました。

神野氏ほど日本でのアパルトヘイト問題に対する意識の高まりを喜び、驚いている人はいないでしょう。神野氏自身は大阪出身で、1960年代後半から1970年代前半にかけての京都大学在学以来、この問題にかなり精通してきました。彼の法律と世界政治史の研究は最終的にファシズムやマルクス主義の理論の研究へとつながりました。そして、それがアフリカ全土の政治紛争へとひろがり、彼の大学院の論文のテーマとなりました。彼は抑圧されたアパルトヘイト政策下での黒人たちの闘いに深く心を打たれ、今日まで続くアパルトヘイトを終わらせることに本格的に関わるようになりました。

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まず南アフリカと日本との関係の一般的な評価についてお聞きします。日本は南アフリカの最大の貿易相手国となりました。あなたは近い将来、この関係が変わると考えておられますか。

南アフリカのアパルトヘイト政権、日本経済、そして日本全体における、望ましくない現在の関係が少しでも変わることを願っています。しかし、まだしばらくは非常に悲観的にならざるを得ない状況です。というのも、日本政府による制裁と呼ばれている措置はあまり効果がなく、南アフリカと日本との貿易の伸びを抑えるのに全く成果を上げていないからです。

今年、米国など諸外国からの批判を受けて、外務省はこれまでの姿勢を変え、この問題を真剣に捉え、日本の大手企業に自主規制を促すことで南アフリカとの貿易量を抑えようとしました。しかし実際には、外務省によるこのやり方は効果的ではありません、なぜなら通商産業省は効果的な制裁に強く反対しているからです。

トヨタ、日産、NEC、富士通、パイオニアといった大手企業は対前年比で南アフリカへの輸出量を減らす意向を表明しました。今年の1月から6月の米国の統計では南アフリカからの輸入がわずかながら減っており、そのような状況の中でのボイコットを恐れたからです。残念ながら輸入量の9パーセント減は輸出量の45パーセント増で相殺され、前年同期比で貿易総額13パーセント増となりました。

制裁が効果的かどうかについての議題は何度も取り上げられています。それについてどう思われますか。

経済制裁はこのアパルトヘイト政策を終わらせるために国際社会が南アフリカ政府と南アフリカ経済全体に対して圧力をかけることが出来る唯一の方法です。同時に南アフリカ政権に対する国際的な制裁は南アフリカ国民による自国内の闘争を促進します。私はこの促進させる効果により力を入れるべきだと感じています。しかし、南アフリカでの変化が出来るだけ残忍で流血を伴うようなものにならないように願っています。

あなたが働きかけてきた日本企業の反応はどのようなものでしたか。

私たちは南アフリカ製品の消費者不買運動キャンペーンを組織してきました。例えば、これらの製品は「アップルタイザー」(りんご飲料)、ネダバーグワイン、果物、缶詰食品などで、スーパーマーケットチェーンにこれらの製品の販売中止を求めました。そして私たちが店頭で不買運動のビラを配った時には、店側は神経を尖らせていました。しかし、今年の6月、スーパーマーケットチェーン大手のイトーヨーカドー、ダイエー、ジャスコ、西友はそれらの南アフリカの食品を売らないようにすると公表しました。企業らは人権擁護のためであることを認めず、「アップルタイザー」の売れ行きが悪いので販売を中止するという、利益にもとづいた決定だと述べました。(失笑)

しかし、この問題はこれら企業にとって非常に重要です。というのは、各企業が持つ人権に対する意識のあり方を示すからです。企業の中には人道的な態度を取るところもあれば、そうでないところもあり、私たちが人道的な態度を取る企業を選ぶのです。

あなたは日本の世論はアパルトヘイト問題に対してあまり意識が高くないと述べてこられました。なぜそう思われるのですか。

それは私たちにとって最も難しい問題です。日本社会は非常に資本主義的で、社会での地位や会社での地位によって巧妙に人を判断します。また、私たちの社会の中にも自国の差別問題がありますが、全般に経済が繁栄しているので、人々は基本的な人権の必要性を忘れがちなのです。私たちの社会にあるこれらの症状を指摘すれば、まず、家庭や学校でのストレスによる子どもの自殺問題が挙げられます。次に一般の人々の金儲けへの強い傾向があります。この理由の一部には日本の社会保障が不十分だということがあり、人々は金儲けをすることで、自分たち自身の問題を解決しなければならないのです。お金だけが彼らの人生の唯一の保証となるのです。この傾向がかなり強く、自国の社会のことですら、他人のための時間も意識も持ち合わせていないのですから、言うまでもなく、第三世界や他国の人々のことを気に掛けてはいないのです。日本社会では、人々は別の人間の現実世界から切り離されているのだと思います。

南アフリカの状況ととても似ていますね。

そうなんです。それが言いたかったのです。

南アフリカ問題を人権問題として日本人により意識させるにはどうすれば良いと思われますか。

最近の市民運動やキャンペーンは環境汚染、部落解放、反原発などの様々な問題を扱うようになってきました。こういう運動が高まるにつれて、人権に関する一般的な懸念も高まっていくでしょう。そういう状況の中で、私たちは反アパルトヘイトの問題を取り上げていくことが出来ると思います。そして活動やキャンペーンを行う際、具体的に訴えていくことが大切だと思います。私たちの運動へは様々な方法で参加することが出来、消費者不買運動はそのひとつです。南アフリカの製品を買わないことで運動に参加するのは簡単ですが、私達は人々になぜそれらの製品を買うべきでないかを説明する必要があるのです。

こういったことが南アフリカと関係のある日本企業の「名誉白人」という社会的地位へとつながっているわけですが、そのことについてどう感じておられますか。

この「名誉白人」という立場はアジア人である日本人にとって非常に恥ずかしいことです。日本人の中にはこの「名誉白人」という立場について誤解をしている人たちがいます。私の意見では、この「名誉」というのは名ばかりなものなのですが、多くの日本人はこれを「尊敬に値する」もしくは「光栄である」というように捉えている人もいます。日本語で名誉白人と訳されますが、私はこの「名誉」という言葉は「肩書きだけの」という意味で、間違って使われていると思います。

南アフリカの日本人市民に与えられた、この不名誉な社会的地位は南アフリカの人種差別政権との不名誉な関係を象徴しています。南アフリカ人にとって、日本はアパルトヘイト政権下での現実を知らない国だと見られています。そして日本企業はアパルトヘイトの現実をよく知った上で、人権よりも営利を優先させているのだと思います。

私たちは自分達のアパルトヘイトに対する意思を表すこと、南アフリカ製品を不買すること、また南アフリカ政府へ抗議の手紙を書くことで、この「肩書きだけの」社会的地位を拒否するべきです。そして、同時に私たちは日本政府が取っている立場に対してもっと強く反対の声を上げるべきです。

あなたの活動についてですが、反アパルトヘイト運動をする中で、アフリカ民族会議(ANC)と汎アフリカ主義会議(PAC)とのつながりに関して言えば、あなたはどの程度彼らと関わっていますか?彼らと強い結び付きがあるんですか。

公的立場で言えば、それらの組織は、国際連合、アフリカ統一機構(OAU)、非同盟運動の国によって信頼に足る国民の代表者として承認されています。しかし、彼らとの個人的な接点が出来たのは、ANCやモザンビーク解放戦線(FRELIMO)(モザンビーク解放グループ)に手紙を出したことから始まりました。

1977年になって初めて日本反アパルトヘイト委員会は南アフリカからゲストを招きました。それが、ランウェジ・ネングウェクールです。彼はスティーヴ・ビコと南アフリカ学生機構(SASO)を共同で設立した人物です。彼の来日は、スティーヴ・ビコが9月12日に勾留中に殺されたすぐあとのことでした。当時、(ネングウェクールは)ボツワナに亡命中でした。近年、だんだんとアフリカから人が来るようになり、そのおかげで私たちの日本反アパルトヘイト委員会は発展してきました。1985年にPACの女性部門からモード・ジャクソンが来日しました。彼女は南アフリカの白人家庭に生まれましたが、彼女の髪や肌の色がかなり濃かったので、8歳の時に「カラード」(混血)として分類されました。そのため彼女は家族と引き離され、「カラード」(混血)の家庭の養子となり育てられました。彼女の話しは非常にショッキングで、この話しを聞いたことで私たちの活動に参加する人たちもいました。その同じ年に、ロンドンにあるANCの文化部からセレツェ・チョアビが日本を訪れました。そこで私たちは彼らの文化的な問題、特にソロモン・マシャング解放学校(SOMAFCO)を支援していきたい旨を話しました。この学校はANCがタンザニア政府の支援を受けて、タンザニアに建設していた学校でした。私たちはSOMAFCOを支援する運動を始め、私は短波ラジオ、テープレコーダー、16ミリフィルムの映写機など寄付された物品を運ぶ代表として派遣されました。それらの物品はものすごく重かったです。

私はANCとPACとの間に確執があることは知っています。しかし、彼らは皆、南アフリカ国民ですから、私は彼らをありのままに受け入れるしかないのです。彼らがどんな未来を選ぶかは南アフリカ人の彼ら自身が決めることなのです。私は内政に介入したくありません。ANCにも、PACにも「黒人意識運動」にも(そのいずれであっても)彼らに対する自分自身の姿勢を変えたくはないのです。

日本人は全体的に南アフリカ政府のプロパガンダや典型的な見方にどのぐらい影響を受けていると思われますか。

そんなに多くの(一般)人が影響を受けているわけではありません。しかし、多くの経営者は制裁が南アフリカの黒人達を苦しめているという意見に影響を受けています。また、南アフリカは欧米諸国にとって、レアメタルの主な、または唯一の供給先だという意見もあり、そういった理由から私たちは南アフリカに対して効果的な制裁が出来ないでいるのです。

ドナルド・ウッズを見に来た人で会場が満席になったことや大阪での反アパルトヘイトのデモ行進などを見ると、反アパルトヘイトへの意識が大阪で高まりはじめているように思われます。あなたはこういったことを日本人の意識の高まりの表れだと見ますか、それともまれな出来事だと思われますか。

反アパルトヘイトの感情は、今年になってある出来事が日本国民の意識を高め始めるまで非常に珍しいものでした。その出来事の一つは日本が南アフリカの最大の貿易相手国となり、それに伴い、海外から批判を受けるようになったということです。そして、もう一つの出来事は昨年の3月に『Cry Freedom』の映画が上映されたことです。この映画はアパルトヘイトの現実を描いた初めての商業映画です。とてもショッキングな映画で、ただの「ブーム」だという人たちもいますが、例えそうだとしても、それを最大限活用すればよいのです。私は今までドナルド・ウッズの講義に千人以上もの人が参加するとは思ってもみませんでした。その聴衆の規模に驚きました。昨年までは想像も出来ない光景でした。これはまさに新しい進展で、私は日本での運動として、これをアパルトヘイト元年と呼んでいます。

日本における反アパルトヘイト運動の今後についてどのように予測していますか。

様々な都市に活動拠点を拡大する必要があります。京都では、現在、地元の市民グループに協力を得て、「反アパルトヘイト市民宣言」という運動の立ち上げを進めています。目標期日をシャープビル虐殺事件と「国際人種差別撤廃デー」の記念日である3月21日にしようと考えています。そして、より幅広い消費者不買運動を呼びかけていきます。また、もっと効果的に反アパルトヘイトに対する世論と(日本)政府の公的立場に対する世論を動かしていきたいと思っています。

最後に今後数年間、日本と南アフリカ関係は具体的にはどのような方向性を持つと思われますか。

来年、日本が再び南アフリカの最大の貿易相手国になり、国際社会から非難を浴びることは間違いありません。特に米国は、現在南アフリカとの貿易を通して利益を上げている日本企業からの製品を買わないことを検討しています。日本企業の中には国際社会から孤立しないために、いま、何か手を打たなければならないと気付いているところもあります。

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