社会に訴える漫画

日出ずる国の隠された面に迫る漫画家


ブライアン・コバート

日本の漫画界で最も人気を集めている「カマやん」に会ってみよう。

多くの漫画の主人公もそうだが、カマやんも頭の回転が早く、心暖かく、冒険心に富んでいる。カマやんは色々な場面に登場してくるが、彼の陽気なふざけぶりは常に読者を引きつける。

現在の漫画の主人公たちと比べれば、ひげ面でずんぐりしたカマやんは一風変わっている。カマやんは家も仕事も無く、家族もおらず、住んでいる所は大阪の南に位置する釜ケ崎であるが、ここは外国人も入れて2万5千人ほどの日雇い労働者がその日暮らしをしている街である。

カマやんは創作上の架空の日雇い労衡者であるが、カマやんを取りまいている環境は事実である。この環境を知っている日本人は数少ない。その限られた人の一人が、今年41才で18年間、」財団法人西成労働福扯センターに勤務していて、主人公カマやんの生みの親である、ありむら潜氏である。

「鳥かん図という言葉があるでしょう。空から全体を見渡すことですね。釜ケ崎で社会を見ると虫かん図、地面から見る社会です」と身ぶりを加えて、ありむら氏は語る。「社会を底辺から見れば、違って見えます。非常に恥ずかしい部分、日本の社会がどれだけ歪んでいるかがよく分かりますよ。そして、歪んだものは滑稽に見えるのです」

ありむら氏は1977年に『カマやん』を福祉センターの広報誌に載せた。この漫画は人気を得て「ヤング・コミック」などの主流漫画雑誌に載せられるようになった。それ以来、ありむら氏は単行本を4冊出している。

一般的に多くの漫画作家はストーリー創りに創造力を働かせるが、ありむら氏の場合は、まず街へ出る。釜ケ崎はイメージ・アップのため役所によって「あいりん地区」と改名されたが、その釜ケ崎へ来て働くようになる前には、漫画を書くことなどは思いも及ばなかった。この労働福祉センターに来てすぐ、自分のまわりに数多くの話と事実があり、それらが未だ知られていないことに刺激され、ペンを取る気になったとありむら氏は語る。

「ここにはユニークな人が多くいますよ。一人ひとりが独自のドラマを持ち歴史を背負っています。この人たちが持っている滑稽な面を見てそれを描くことで、日本の社会全体を表現できます。その意味では、15年も漫画を書いてきましたが、文字通りあっという間のもので、まだ不十分だと思っています」とありむら氏は言う。

カマやんの一日は、釜ケ崎の日雇い労働者の実際の一日である。夜明けと共に起き出して、労働センターの「朝のラッシュ」時に仕事を求めて出かける。そこでは手配師が十数人、バンやトラックを用意して「稼ぎが良くて、簡単に行けて、楽な仕事だ」とセールスマン口調で巧く説きふせて、労働者たち(彼らは独り身で、平均年齢は5 2才)をバンに乗せて連れていく。ありむら氏によれば、これらの手配師たちは種々の会社 (通常は大手の建設会社だが)が認めた「人夫出し業者」からの者であり、往々にして暴力団組織と関係を持っている。「人夫出し業者」の多くが労働者の1万3千円の日当を不当にピンはねしており、労働者の手元に残るはずの日々の生活に必要な金が少なくなっているという事実も地元の警察には公然の秘密である。

—日の仕事が終わると、カマやんと仲間たちは車に乗せられて工事現場から釜ヶ崎に帰ってくる。次の日の同じことの繰り返しを前に、彼らは路上か安宿で酒にまぎらせて数時間の睡眠をとる。不幸な運命に陥っている労働者のほとんどがこのように逃れようもない日々を送っている。彼らは、南は沖縄、北は北海道、時には近隣アジアの国々からの人々である。

大阪府警は、交差点の要所要所にテレビカメラを据え付け、この地域に直接立ち入らず、間接的に全体の動きを監視するようなことをしたが、この権威的な行為は労働者たちのプライバシーの権利侵害であると多くの人から抗議を受けている。

日本の会社に食いものにされ、警察や暴力団にいじめられているカマやんのような日雇い労働者たちの欲求不満は過去2、30年にこの地域で起こった数々の大きな暴動の要因になっているとありむら氏は説明しているが、その最近のものが起こったのは1992年10月である。同氏はこの暴動を漫画に描いているが、同時に、この先同様の暴動が起こるような要因を釜ケ崎は今も抱えていることも強調している。

ありむら氏の描くカマやんは、時には大阪を抜け出して、アメリ力、フィリピン、バングラデイシュなどのスラム街に行き、そこに住む人たちと友情を交わす。カマやんのこの経験は、ありむら氏の実際の海外旅行に基づいて描かれている。

ありむら氏の視点はホームレスと貧困に留まらない。この若々しい表情を持つ漫画家は自分の作品を通して、他の有名な漫画家が避けようとする題材、即ち、日本の天皇制、日本企業の海外での問題ある行動、政治家の腐敗、第2次大戦時の日本の軍事侵略など、社会的な問題を作品に織り込んでいる。

「訴えるものが無い漫画は単調になります。社会を批評するようなものがあってこそ興味が湧くのです。何よりも、私は何か新しいことを伝えたいのです。私が目指しているのは、半分は漫画家、後の半分はジャーナリストです。街に出て、笑いとユーモアのある漫画で人々のことを伝えることです」とありむら氏は言う。

だが、釜ヶ崎のこととなると、ユーモアだけでは済まされない。漫画制作や日雇い労働者の仕事探しへの援助の合間には、ありむら氏は日本企業についての世綸を換起して、この地域の「労働者プール」から利益を得ているのであれば、職業訓練プログラムや住宅提供などで、これらの労働者に対してもっと貴任を持つように要求している。しかし、これまでの企業関連の反応は非常に生ぬるいものである。

それでも、ありむら氏は希望を捨てない。日本では漫画が大きな力を持っていることを知っており、15年も描いてきた漫画を今後も続けようとしている。漫画を手段にして、この国の労働者たちの苦難を社会に知らしめることである。

「この地域と生活条件について漫画を描くのは全く初めてのことだったので、私の漫画が差別的であると批判されるのではないかと当初は思いました。」当時を思い出してありむら氏は語る。「結果は、殆どの人が笑ってくれましたし、私に親近感を持ってくれました」

「当然のことながら、私の漫画を好まない人もいました。ある店の主人は、ここの公園で野宿している人を漫画に書いていると文句を言い、そんな人や酔っぱらいを描いた漫画を有名な漫画誌に載せるなと言いました。この人の気持ちは分かります。しかし、現実的には、ここに住んでいる人は日雇い労働者が圧倒的に多いのです」

ありむら氏は労働センタ事務所から窓越しに通りを見ながら言う。「あの人たちを描かなければ私の漫画は嘘を言っていることになります。」
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ブライアン・コバート 米国人ジャーナリスト。さまざまな雑誌や新聞でフリーランスとして活動。現在は、英字新聞 Mainichi Daily News のスタッフライター。同時にUPI東京局の地方特派員でもある。大阪大好き人間。