セイクレッドラン1995 いにしえの道


ブライアン・コバート

世界にはマラソンを始めとする、数多くの走るイベントがあります。豪華な懸賞をめざすものから高尚な目的のものまで、その目的は様々です。金メダルや多額の賞金、地位、トロフィー、Tシャツをめざして走る人もいれば、ただ競争のため、勝つために走る人もいます。運動のため、あるいは単に走るのが楽しいという人もいるでしよう。

しかし、来たる1995年の夏、全く違った目的のために人々が走ります。最終ゴールは地球と地球に生存する者たちを救うこと。「アメリカインデイアン•スピリット•アンド•セイクレッドラン(アメリカインディアンの伝統的精神に則った聖なる走り)」が繰り広げられます。

この運動は毎年世界のどこかの国で行われ、何世紀にも渡って受け継がれてきたアメリカ・インディアンの伝統的信念を広く人々に伝えていくものです。つまり、地球とはすべての創造物の母であり、宇宙の創造者である偉大なる精霊の下では地上に授けられたすべての生命に生存する権利がある、というものです。この思想は時とともに語り継がれ、1990年代の現代においてもなお強く生き続けています。

セイクレッドラン・イン・ジャパン1995は、過去16年間、世界各国で毎年行われてきたセイクレッドランを引き継ぐものです。走路に沿った都市や町、村々にアメリカ・インディアンのスピリットを届けます。この混乱した時代に地球の環境を保護し、人々がお互いに人間としていたわり合っていくことの大切さ、それを意識の中に高めることを目的としています。

「わたしの仕事は、次の村へ、走者にメッセージを届けさせることです。その村がメッセージをどう受けとめるか、それは私たちの及ぶところではありません。私たちの使命は、メッセージを届けることにあります。」著名なアメリカ・インディアンのリーダーであり、セイクレッドラン(「聖なるランニング」)の創設者でもあるデニス・バンクス氏は、最近のインタビューで語っています。

セイクレッドラン・イン・ジャパン1995では、様々な国籍の走者が二つのグループに分かれ、北は北海道、南は沖縄から別々にスタートします。途中、走者はコースに沿った町々に日ごと立ち寄り、文化交流をはかります。アメリカ・インデイアンの歌とダンス、ディスカッションなどを通して、地元の人々に地球の聖なるメッセージを伝えます。

二つの走者グループはそれぞれ日本の北と南の端からスタートし、1日約100キロのペースで走り続け、合流点の広島に向かいます。

広島では1995年8月6日に原爆投下50周年を迎えますが、その前日8月5日に走名全員と草の根支援者が集まりイベントを催します。そして1カ月に及ぶセイクレッドランは長崎をめざして最後の3日間を走り抜け、長崎の原爆投下の日の8月9日にその幕を閉じます。

1995年は太平洋戦争終結50年の年でもあり、セイクレッドラン•イン•ジャパンを行うにはふさわしい象徴的な年になるでしょうと語るバンクス氏自身、1950年代半ばに米国空軍の若い兵士として来日し、原爆の投下後の様子や、米軍占領下での市民の扱いを目の当たりにしましたが、その後、何十年もの歳月の間に、日本との関係を非常に貴重なものとして考えるようになったのです。

しかし、セイクレッドラン1995は、単に平和を主張するだけのものではありません。これは魂による来来への道しるべなのですとバンクス氏は強調します。

「日本の若者から何度も同じ質問を受けます。それで何が言えるのか、何ができるのか、何の役に立つのかと。世界的な問題に対してすべて、アメリカ・インディアンが答えをもっていると言っているのではありません。ただ、ずっとそのことを守ってきたということです。そしてもし、日本文化の中に、これこそ、というような手がかりがあるのなら、彼らはその手がかりを探し当てなければなりません。」

「つまり、もしその手がかりを求めずに東京ドリームやアメリカンドリームだけを追い求め続ければ、魂の行方を見失ってしまうことになるでしよう。」バンクス氏はセイクレッドランをその小さな一歩として考えています。

バンクス氏は、自身のアニシナベ族の間ではナワ・カミッグ(「中央に立てる者」)とも呼ばれています。1977年にカナダ、バンクーバーで200人の北米インディアンの長老、チーフ、クランマザーが大集会を開催し、この集会に続いてセイクレッドランの組織づくりをバンクス氏が提案しました。大集会では、環境破壊の深刻な状態や人間性が失われていく状態をどうすべきか、また何を目標にすべきか、議論を重ねました。その結果、北米先住民族さらに人類全体が物質的な欲望から逃れ、精霊に根ざし、地球と調和した穏やかな生活に立ち戻るべき時であるという結論に達しました。ちょうどアメリカ・インディアンが何千年もそうしてきたように。

「この1977年の集会の後、5〜6カ月経ってから、どうすればこのメッセージを伝えることができるのか、村から村へ走ること、ランニングの古い伝統を伝えることを思いつきました。つまりスピリチュアル・ランニングです。」こうしてセイクレッドランが開始され、その全走行距離は現在34,000マイル(54,400キロ)を超えるに及んでいます。しかもこの数字は1993年のオーストラリアとニュージーランドでの距離を含めていません。1994年に南アフリカで、1995年には日本でセイクレッドランが予定されており、日本では1988年に続く2度目のセイクレッドランということになります。

「私は『スピリチュアル・ランニング』ということを強調していますが、走者の中にはさらにマラソンに参加するようになった人もいます。ボストンマラソンやニューヨークマラソン、東京マラソンなどです。私たちの仲間とともにずっと続いているのです。」

デニス・バンクス氏にとって、コミュニティーレベルの組織づくりは今回が初めてではありません。1968年のアメリカ・インディアン運動の創設に参加し、全アメリカ先住民族の自給自足的な独立と、米国政府が過去に無視し、あるいはあからさまに破ってきたアメリカ・インディアンとの協定を承認するよう求めました。60年代、70年代には、いくつかの大きな抗議行動にも参加し、そのため米国政府関係者から暗殺を企てられるまでに至りました。しかし現在57歳のバンクス氏はこういった危険や投獄の経験をくぐり抜けて生きてきました。

ここ数年間、バンクス氏は表だった政治的な対決よりむしろ、アメリカ・インディアンの文化に力を注いでいます。同時に、インディアンコミュニティー内外の多くの人とともに、長年の親友であり同志であるレナード•ペルティア氏の解放を訴えています。レナード•ペルティア氏は、1975年6月26日サウスダコ夕のパインリッジ居留地で起こった銃撃戦に関係したとして、終身刑を言い渡されています。この銃撃戦でFBI捜査官2人と、インディアン1人が死亡しています。彼に対する証拠をでっち上げようとしたFBIの不正は具体的証拠によって明らかにされていますが、それにもかかわらずペルティア氏が投獄されてから18年が経過しようとしています。

1995年のセイクレッドランは、もうそこまで来ています。デニス・バンクス氏は日本のあらゆる階層からの参加を求めています。プ口もアマチュアも、メインランだけでなく、ほぼ同時に日本各地で催される小さなランを含めて、ぜひ参加されるよう、またランに參加する人以外でも、様々なセイクレッドランの活動に参加してもらえるボランティアの人を募集しています。

この記事は、デイネー(ナバホ)族の卜ム・ジョンとのかつての友情と信頼、及びその家族に捧げる。「ミタクイエ•オヤシン——私たちに連なるすべての命あるもののために。」
____________________________

ブライアン・コバート 米国人ジャーナリスト。さまざまな雑誌や新聞でフリーランスとして活動。現在は、英字新聞 Mainichi Daily News のスタッフライター。同時にUPI東京局の地方特派員でもある。関西在住で、関西の国際化を推進している。