「私は立ち上がる」

〜アレン・ネルソンの精神に宿る憲法9条を守る〜


9条連近畿会員 ブライアン・コバート

平和活動家、退役軍人のアレン・ネルソンが初めて世間の注目を浴びたのは1991年1月25日、湾岸戦争に反対するための「ティーチイン」(学内討論集会)が米国でテレビ放送された時だった。当時43歳のネルソンは、1960年代にベトナムで若い海兵隊員として人を殺したことを話した。そして、米国政府が自国の人種差別問題にも国民の経済問題にも対処できていない一方で、再び海外で戦争を始めたことに怒りを込めて非難した。この模様は、会場となった大学からC-SPAN (www.c-span.org)により全米に生中継された。「私はベトナム退役軍人として、この戦争に反対するために立ち上がります。」

4年後の1995年、沖縄で米軍兵士による少女性的暴行事件が起こり、アレン・ネルソンは戦争と軍国主義に抗議するため沖縄へ戻ってきた。この地は彼がかつてベトナムに送られる前に、殺しの訓練を受けた場所である。その後12年間、日本全国の至るところで熱心に平和を訴え続けた。講演は学校や平和集会などで催された何百もの草の根運動のイベントで行われたが、彼のメッセージは、常に、日本の戦争放棄を記した憲法9条を、何としてでも守ることについて訴えたものであった。

ネルソンが61歳で多発性骨髄腫により亡くなってから、今年の3月25日で10年となった。多発性骨髄腫は一種の骨髄の癌で、ネルソンは、生前、この病気にかかった原因は戦争中に米軍によって広くベトナムに散布されたエージェント・オレンジという枯葉剤の影響であると考えていた。石川県、加賀市にある寺院「光闡坊」が、日本における彼の最後の安息の地である。彼の遺骨はここに納骨されている。

ネルソンが亡くなってからの10年で世界はどのように変わったのだろうか。今日、愛国主義と軍国主義が台頭し、冷戦と国家間の核の脅威が復活しつつある。沖縄における米国の軍備増強は衰える気配もなく、いまや日本の平和憲法の理念がこれまで以上に廃除の危機に立たされている。安倍晋三首相は日本の軍を再び偉大にするための政策の中心に、憲法9条改正を据えており、彼は任期を終えるまでにこの改正をやり遂げるのだろうか。

10経った今も、彼の思いは日本と米国の多くの人々の心の中で生き続けている。貧困と戦争からの生存者としての彼の感動的な話は、日本の聴衆と何度も分かち合われてきた。彼の思いが、より公平で平和な世界のために立ち上がるよう、今も私たちを奮い立たせ、勇気づけてくれるのだ。

2007年、私は彼に話をしてもらうため、京都の同志社大学に招いた。そこで、彼は学生たちに次のように語ってくれた。「全ての日本国民、そしてここにいる全ての学生の皆さんが、日本に憲法9条があることがいかに幸運であるかを自覚することが非常に重要です。地球上のあらゆる主要国の子どもたちは戦争の悲惨さを知ってしまっているけれども、日本にいる皆さんは戦争を知りません。それは皆さんの憲法9条が皆さんを戦争の恐ろしさに苦しむことから守ってくれているからです。」

「ご存知の通り、皆さんの新首相(安倍)は懸命に9条を皆さんの憲法から廃除しようとしています。ここにいる学生の皆さんや国民の皆さんは絶対に9条を皆さんの憲法から廃除させてはいけません。」

「皆さんはこの憲法の9条によって、戦争の悲惨さから救われ、守られてきたのです。今こそ、日本の国民の皆さんが立ち上がり、憲法9条を守るために声を上げるときなのです。」

(ブライアン・コバート/ジャーナリスト・大学講師)