憲法9条に向けたアピール
ブライアン・コバート
今日[2005年]8月15日は第2次世界大戦の終結から60年をしるします。何百万もの人命を奪い、歴史の道筋を変えた戦争です。今日は世界じゅうで、人類が今までどんな立場にいたのか、そして、これからどこへ向かうのか、静かに思いを馳せる時です。
それがもっともふさわしいのは、あの戦争で加害者でもあり同時に犠牲者でもあったここ日本のほかにはおそらくないでしょう。日本はアジア近隣諸国などで引き起こした大量の殺りくと損害に対する処理を、60年間、国家としてまだ果たしていません。同じことは、広島と長崎での恐るべき原爆投下と、その後に世界中で戦争を起こした米国についても言えます。
しかし、この特別に記憶すべき日は、生と死、平和と戦争、という最も基本的な問題に対してしっかり思いを馳せるべき時であるだけでなく、しっかり行動すべき時でもあるのです。
その行動は、全地球共通の大目的に向けて、文化や民族の異なる人々を結びつける具体的な一歩になり得ると信じます。私は、国際的な共通行動、つまり、日本の憲法9条への道に進む一歩として、ここにアピールを発したいと思います。
第2次大戦の灰燼の中で1947(昭和22)年に施行された日本国憲法で、2項からなる9条は、次の通りです。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
9条の意義
なぜ9条が半世紀以上もたった今、自分たちに重要なのかと疑問をもつのも当然でしょう。それにはいくつかの理由があるのです。
第一に、9条は、正義の天秤を平和支持と戦争反対に釣り合わせるのに寄与します。9条は、ブッシュ政権が「あなたは我々につくか、それともテロリストにつくか」という脅しのなかで示した選択肢とは違う、もう一つの選択肢を世界に与えます。
第二に、9条は、戦争と戦争経済を繁栄させる怨嗟の悪循環を断ち切ることを追求します。例えば、世界制覇を夢見た日本軍のファシズム幻想によって略奪された、特にアジアの国々にとって、9条は、軍国主義を芽のうちに摘み取ることで、戦後の政治的安定の根源として役立ちました。我々の時代に、地球規模の暴力の循環は打ち破り、全国家間の平和と理解の循環に置き換えねばなりません。9条は我々をその目的に近づけます。
第三に、9条は、軍備増強を阻止し、平時の予算を拡大させることを社会に奨励することで、真の経済発展を築くように作用します。それは、経済的繁栄がほとんど「平和憲法」のお蔭である戦後日本において、まさしく当てはまりました。我々は戦争の根っこにある道徳的問題とともに、経済的問題をも説くことを現実に則して始めねばなりません。そのためにこそ9条は役立つのです。
第四に、9条は平和に向けた既存の土台の上に築かれたのです。例えば、米国と他の61カ国がケロッグ=ブリアン協定(パリ協定)に署名したことをご存知でしょう。「国家の政策の手段としての戦争を放棄することを規定する」条約で、1929年7月24日に発効しました。国際法の下で今も加盟国に義務を負わせる条約であり、米国でも今も法的には憲法6条の下で最高法の一部です。日本の9条は世界じゅうでそのような法的根拠を築く助けになります。
もちろん、9条が日本の抱える諸問題の万能薬であったとは言えません。第2次大戦後、何十年もの間、米国防総省に後押しされ、日本は世界第5位の軍事費支出国になったと言われます。しかも、広島と長崎の原爆投下の後で日本にやって来た米占領軍は、日本から立ち去ったことはありません。4万5千とみられる米軍は、今なお日本じゅうの米軍キャンプに駐留し、そしてほとんどは南の沖縄にいます。米軍はもちろん、今も駐留経費のほとんどを日本政府に支払わせています。日本国憲法に9条が存在するにもかかわらず、こうしたことが起きているのです。
しかし同時に、日本に9条がきちんと存在していなければ、過去何十年間、国際社会はもっと不安定だったでしょうし、日本の軍国主義者たちの野望がもっと早く再浮上していたでしょう。これは誇張ではありません。
軍国主義の再浮上
「再浮上」? そうです。第2次大戦終結後60年、日本の軍国主義は再び、今度は米国のいわゆる「テロとの戦争」を支援する形で浮上しつつあります。米国からの圧力の下で、日本−かつて広島と長崎で原爆の大量殺りくに苦しんだ国−は米国の占領を支援するために自衛隊の何百人もの若い兵士をイラクのサマワに派遣しました。サマワでは、2003年3月に米国が不法なイラク侵攻の際に使った武器により、高水準の致死的な劣化ウラン (DU) 汚染が存在することが、米国の元軍事科学者、アサフ・ドラコビッチ博士によって最近明らかにされました。原子爆撃は反復されたのです。
それに伴い、超保守的な日本政府は、小泉純一郎首相を表看板にして、9条を変えることに全力をあげています。理由は? 表向きは日本が軍隊を海外のどこへでも、いつでも、大衆がどう言おうと、派遣するのを容易にするためです。トーマス・シーファーという名のジョージ・W・ブッシュ忠誠者である新任駐日米大使は、日本の自衛隊がイラクでいわゆる「テロとの戦争」をする米国を助けるために、より強力な役割を演じてくれる期待をはっきり口にしてきました。そして、小泉首相は、台頭しつつある日本政府内の新保守主義勢力に支えられ、ワシントンの軍事指導者の要求にいつでも喜んで従う用意があるのです。
9条を何としても改変から守ろうという力強い市民運動が、最近盛んになっているのは、こうした背景に反発してのことです。日本のあらゆる階層の人々−学生、教師、退職者、俳優、女優、労働組合員、音楽家、学者、政治家、企業家、NPOのボランティア、活動家、作家、さらに多くの人々—は共に立ち上がり、日本社会で9条擁護に支援の声を挙げています。活気に満ちた市民運動であり、そこに真の意味での民主主義を、日本中の地域レベルでまさしく目にし、感じ取ることができるのです。
しかし、我々が置かれた位置は安全圏からはるかに遠いのです。日本の企業支配の主流メディアは、世界じゅうのメディア同様、こうした平和への叫びをほとんど無視しています。ブッシュとネオコン(新保守主義者)の親友たちからの圧力下にある日本政府は、9条が米帝国主義の重力に押しつぶされるのは単に時間の問題だと見る多数をたのんで、9条の戦争放棄条項を着々とそぎ落としつつあります。米国は9条誕生を手助けした国でありながら、60年後の今、9条を抹殺する国になろうとしているのは皮肉です。
だからこそ、この危急のときに、日本で9条擁護の市民運動にかかわる我々の多くが、世界中の兄弟姉妹に連帯と支援を−金銭の形でなく、発言と組織化の努力の形で−求めて手を伸ばすことが、緊急に必要なのです。
日本の9条を、創設された本来の理由、つまり、将来の戦争を防ぎ、軍国主義を止めるために活用しましょう。ヒロシマとナガサキから60年後に日本の平和憲法が静かに息を引き取るのを孤立無援で傍観するよりは、世界中の国々に保証の一つの型である9条の種を撒くために、改めて力を合わせて行動しましょう。そうです、それは成し遂げることができるのです。
もし、あなたが良心に動かされて行動するなら、今日にもできる実践的、具体的な手段がいくつかあります。
・9条についてもっといろいろ知ること。9条とは何なのか、どのようにして出来たのか、世界平和の重要な一部分であり続けたのはなぜか、そして、なぜ擁護し、世界中に広める価値があるのか。それを理解することが重要な第一歩です。9条に関する最近のニュースを、スタートの助けになるよう以下に列記します。9条について役立つ情報を提供するウエブサイトがネット検索で豊富に見られます。
・このアピ−ルをできる限り多くの人と場所に回すこと。アピールを読んだ人たちはみんな9条と平和を支持する潜在的な発言者と見なされます。
・連絡をとること。日本内外の9条運動組織のいくつかを以下に掲載しておきます。彼らと連絡をとり、あなたもまた9条支援に立ち上がろうとしていることを知らせましょう。英語のウェブページがないサイトもありますが、Eメールの連絡先はみんなあります。言葉の壁を気にしてはいけません。
・あなた自身の国で9条の創設を考えること。9条は日本のためだけでなく、全世界にとって平和を可能にする証拠書類のような存在です。「日本国民」という言葉をあなたの国籍に代えれば、自国の環境に適用できる戦争放棄条項の根拠が出来ます。世界の多くの国々(特に米国)の政府が、もし、自国の市民の手で法的に戦争放棄条項に縛られるなら、状況がどのように一変するか、想像してごらんなさい。
締めくくりに、60年前に戦争の瓦礫と灰燼の中で無為に死んだ何百万人もの記憶に、何らかの意味をもたせるなら、9条に向けたこのアピールを終わりにするのでなく、何とかして始まりにすべきです。もし、老いも若きも声を出して本気で語ろうとするなら、強欲な少数者のための戦争と富ではなく、すべての人のための平和と繁栄を弁護する声にしましょう。
もし今後、あらゆるところで平和と繁栄を求める声が高らかに鳴り響くなら、そのときには、明日のビジョンは、分割と征服の概念や地球支配という幻想ではなく、真の兄弟姉妹の関係に基づくものにしましょう。我々はみな同じ母なる地球の上に生きていて、ここで協調して生き続けるしか道はないのです。
我々の時代に、9条に活躍のチャンスを与えることにより、真の平和に到来のチャンスを与えることを考えましょう。
追記
このアピールが2005年8月15日、第2次世界大戦の終結60周年の日に初めて公表されてから、日本では9条に関して多くのことが起き続けました。
更新した上記のニュースリンクは、日本政府が日本として愛すべき「平和憲法」の名残の痕跡さえも薄めるために素早く、そして猛烈に動いてきたことを示します。本格的新保守主義者(ネオコン)、今や日本の首相、安倍晋三によって、狙いは定められたようです。ブッシュ政権の加護で、日本政府は9条を「改正」するか否か、具体的には、日本が自衛隊をアメリカの「テロとの戦争」を支援して世界のどこへでも派遣することを許すか否か、について、2010年に国民投票をするよう設定しました。国民投票の厳しい条件づけは政府に有利に働くことがほとんど保障されたように思えます。
これは憲法9条の終焉でしょうか。憲法の戦争放棄条項を葬り去ろうとする日本政府の企てに唯一立ちはだかるのは日本国民です。これまで、日本の世論は9条維持に強く賛成してきました。そして、そのことが日本の憲法に関する民主主義のために大きなプラスとなるものです。
しかし、大きなマイナスは日本の中の企業に支配された「ニュースメディアの壁」の存在です。その壁は日本の市民そのものと9条の争点の間に立ちふさがります。メディアの沈黙、つまり、9条がいかに貴重なものか、そして、9条を失うことが日本にとって、そして、実際に世界にとって、いかに悲惨なことになるか、といった情報を国民に誠実に伝えたがらないという壁なのです。もちろん、米国政府は、日本の超右派の政府指導者達に、いわゆる「テロとの戦争」に足並みをそろえさせようと圧力をかけ続けています。
3年のうちには何が起きても不思議ではありません。そして、もし、9条を変えることに反対する日本人の世論が強固であるとするならば、それは世界中の平和を愛する人々の強い支持を必要とするでしょう。そこにあなたは参加するのです。このアピールをもう一度、読み通し、また、リンクしている更新したサイトを見ていただいた後、もし、あなたの良心がなお、あなたにそうするように突き動かすなら、この9条へのアピールを世界中のできるだけ多くの人々に回してください。
最近辞任した日本の前防衛大臣は、1945年に広島と長崎に原爆が落とされたことは、当時の地政学的状況下ではしょうがなかった、と言ったのです。もし、あのような原爆による大量殺戮が人道に反する罪と考えられるべきものなら、それは確かにそうに違いないのですが、それなら、官吏たちからのああした類の発言もまた、世界のどこであっても戦争犠牲者たちの尊厳を侮辱するものであり、責任をとらせるべきでしょう。今や良心ある人々はどこにいても-宗教、政治、文化の違いにかかわらず-共に立ち上がり、この地球規模化された軍国主義の狂気を終わらせるべきときです。
私はこの最新版のアピールを、2年前の2005年、第2次世界大戦終結の60周年の原版を終えるときに使ったのと同じ言葉で終えます。
我々の時代に、9条に活躍のチャンスを与えることにより、真の平和に到来のチャンスを与えることを考えましょう。
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(この日本語訳の初出は2006年12月発行の『憲法9条—世界へ未来へ 『9条連・近畿』10年の歩み」)
ブライアン・コバート フリーランス ジャーナリスト。大学講師。9条連近畿会員。米国出身。
藤田昭彦 元毎日新聞編集委員。大学講師。9条連近畿世話人。