儀式への回帰 〜アメリカン・インディアンのリーダー デニス・バンクスが語る [パート2]
(RETURNING TO CEREMONY — American Indian Leader Dennis Banks Speaks)


——あなたの当時の同胞の一人である、レナード・ペルティアは米国以外の世界中で最もよく知られているアメリカの政治犯ですが、彼は再審の機会も与えられずにずっと収監されたままです。最近、彼と話す機会がありましたか。彼はどうしていますか、また彼の訴訟は今どうなっていますか。

2〜3週間に一度、彼と話している。ちょうど1週間前にも話した。私は彼のためにアメリカ横断ウォークを行う予定だ。[1994年] 2月11日にスタートし、アメリカを横断してワシントンまで5ケ月間かけて歩き、彼の恩赦を求める。裁判所は彼に有罪判決を下し、決して彼を釈放しようとしない。裁判制度が彼の釈放を許さず、恩赦が唯一、彼が釈放される方法なのだ。彼が刑務所にいる間、ずっと私達は嘆願書を集めてきた。そして、今、恩赦が出るタイミングなのだ。[アメリカ合衆国司法長官ジャネット・レノとアメリカ大統領ビル・クリントンに宛てたペルティアによる嘆願書を見せる]

——クリントン政権がこれまでの政権よりも好意的かもしれないと思う理由がありますか。

もしクリントンが動くなら、彼の就任初年度に動いていただろう。そうでないなら、動くのが遅すぎると、再選に近くなりすぎ、右翼や警察がこの恩赦の件を使ってクリントンを攻撃するだろう。彼は本当に最初の段階で動くべきだった。彼はすぐにやるか、任期を終える時にやるかのいずれかだろう。もしそれが任期を終える時なら、私達は彼の再選の間、待たなければなんらない。つまりあと3、4年待つことになる。常に政治的な決断で、正しい、間違っているは関係ない。恩赦はいつも政治的なしがらみに左右されるのだ。

しかし、ペルティアは釈放されるだろう。わたしは17年前にそう予測した。彼ら裁判官がペルティアを有罪にすることはあり得ないからだ。たとえ [ダレル・] バトラーや [ロバート・] ロビドゥーの裁判の後でさえ、[ペルティアは]正当防衛のため無罪だとわかりる。しかし、突然のことだ。ノースダコタ州で、裁判官は言った。「あなたはここでその正当防衛を使えない」と。「ちょっと待ってくれ。もしそれが使えないなら正当防衛は存在しないじゃないか」と私は思った。裁判が始まる前からペルティアの運命は決まっていた。

しかし、[1976年6月の] シーダーラピッズ市での裁判では、FBI長官の [クラレンス・] ケリーでさえも証言に出てきた。彼は弁護士にインディアンは銃を撃ってこられた時、自分を守る権利を持っているかと尋ねられ、ある、と答えた。(笑)FBIは彼が再び証言し、ノースダコタ州で同じことを言ってもらいたくなかったのだ。だから彼らは裁判をダコタに戻した。FBI長官が自分たちの事件を不問に付すということが想像できるか。

——最近のレナードの気力はどうですか。

高い。17年間刑務所に入っている者としては非常に高い。しかし、よく考えてみてくれ。彼はものすごく怒っているのだ。その怒りは、ここで俺は何をしているんだ、というような、時には落ち込みと怒りがまざった感情なのだと思う。

私は去年の11月9日、最終控訴尋問でミネソタ州にいた。その時、連邦検事も一緒だった。彼は17年前に陪審員の前で次のように言った検事だ。「そして、ペルティアは拳銃を握り、最初の捜査官に近寄り、その捜査官が撃たないでくれ、と懇願したにも拘わらず、ペルティアは非情にも彼の手を撃ち、額を打ち抜き、頭を吹き飛ばした。そして、ペルティアはもう一人の捜査官に体を向け、「次はおまえだ」と言い、命乞いする捜査官を射殺した。それがここにいるペルティアだ。」それが台本だったのだ。

もちろん、彼の話に異議は出た。誰もペルティアが何かするのを見ていない。FBIですら見ていない。しかし、それでも、連邦検事は陪審員のために絵を描き、死人の口に言ってもいないことを言わせるのだ。しかも裁判官はそれを黙認するのだ。そして、陪審員はペルティアを有罪にし、彼に2回分の終身刑を言い渡したのだ。

17年後の昨年、私はセントポール市の法廷にいた。第8回巡回区控訴裁判所で裁判官の一人が「誰が捜査官を殺したのか知らない、というのはどういう意味か」と、尋ねると、連邦検事は「誰が捜査官を撃ったのか知らない、ということだ。」と答えた。すると、裁判官は言った。「誰が捜査官を撃ったのか知らないというのか。」それから裁判官は調書のすべてに目を通し、言った。「あなたはペルティアが非情にも捜査官を撃ったと言った同じ連邦検事か。どうかわたしを撃たないでくれ、と言った同じ連邦検事か。」と尋ねると、[リン・]クルクスは「はい」と答えた。裁判官は「それでも、あなたは誰が捜査官を撃ったか知らないと言うのか。それはかなり重要ではないか。」と言った。

ペルティアは正当防衛理論が使えなかったので、結局、彼らの言い分は次のようなことだった。二人の捜査官が殺された、ペルティアがそこに居た、誰が捜査官を撃ったのか、結論を出してなさい、それが今の政府の考えなのだ。

[ペルティアの裁判の一つを受け持った裁判官がある意見を] 米国大統領に書いて送った。そこには、なぜペルティアが釈放されるべきかの理由が五つ挙げられ、次のように述べられていた。「私は彼が再審を拒否されるべきだという意見を書いた裁判官だ。法律の専門性と私達が取り組まなければならなかったものの枠組みに基づいてその意見を書いた。しかし、それを書いてもなお、彼は釈放されるべきだという私の考えは変わらない。なぜなら、その戦いを始めたのは政府だからだ。」

そして、[1975年6月26日のパインリッジ居留地での] 状況も理解しなければならない。それは次のようだった。野営地で皆が眠っていた時、突然発砲が始まった。そして、皆、起き上がり、慌てふためき、一体何が起こっているのだ、と思った。あらゆる方面から発砲され、こちらも反撃を始め、激しい銃撃戦になった。そして、突然人々が通りに現れ、野営地の皆は誰が撃っているのかも分かっていなかった。全てが終わった時、ジョー [・キルズライト・スタンツ] は死に、[FBI捜査官のジャック・] コラーも、[捜査官のロナルド・] ウィリアムズも死んでいた。彼らが言うには、靴一足を盗んだ男を逮捕するためだった。しかし靴を盗んだ者を逮捕するのに発砲をするなどあり得ない。

レナードと私が個人的に話をする時、会話が聞かれているのは承知だが、彼は時折落ち込んだり、取り乱したりする。しかし、彼はまた強さを取り戻し、5分後には別の話し方をする。それで私は彼の気力は高いと言ったのだ。

——あなたはここ何年もインディアンの人権のための政治の舞台から降り、文化振興へ活動を移しているように見えます。なぜですか。

そういうつもりはなかった。ただ当初は政治的な立場を固めることが非常に重要だと感じていた。というのも、政治的な問題でいつも闘いが起こっていたからだ。政治的な舞台が実際の闘争であるにしろ、私たちの土地、水、天然資源についての交渉にしろ、それが最も重要なことだった。私は私たちの将来のために政治的戦略を立てなければならないと感じていた。今ではその面は安心だと思う。いまや多くの長老や人々がその面で私たちの進むべき方向性を理解している。私が次に取り組むべきことは文化的な基礎固めに戻ることだと思った。私たちが文化的に何をするにしても政治的な動きになってしまい、その逆はあり得ない。しかし、私たちが政治的な行動をすることはあり得えないし、文化的な側面を政治的な側面につなげようとも思っていない。そのようなことは決して起こらないし、私自身、それには絶対反対だ。

——同じテーマになりますが、過去の数年に映画に出演されましたが [1988年『ウォー・パーティ』、1989年『サンダーハート』、1992年『ラスト・オブ・モヒカン』]、そのことはアメリカン・インディアンに対するハリウッドのひどい固定観念を変えるのに意味がありましたか。

もし、ジョン・ウェインやトントのようなキャラクターが関係している映画なら、私は決して出演しなかった。その時代は過ぎ去った。アメリカン・インディアン運動がそういった奴らを60年代後半から70年代初頭の時代へまとめて追いやり、ハリウッドは映画を作り始めた頃からずっと先住民の評判を下げ、私達のライフスタイルを貶め、全人種を既成概念にはめてきたのだ。

出来事を伝える方法は、口述と印刷物があるが、あともう一つがハリウッドバージョン、つまり映画だ。なぜなら、ハリウッド映画はたくさんの人の目に触れるからだ。そして、フィクションが常に既成事実となる。それが私たち自身の中にあるジレンマとなってきた。映画だと8~9ドルも払って本を買う必要もないし、[一週間もかけて読む必要もない。] 3ドルを払って映画を観て、それでおしまいだ。危険なのは、映画は人の心に視覚を植え付けることだ。そしてそれはなかなか消えてくれないので本当に厄介なので、視覚的歪曲、視覚的虚構が真実になっていくのだ。それが既成事実だ。私たちがハリウッドを攻撃し始めた時、まさか私たちがそちら側(笑)に足を踏み入れることになるとは全く想像していなかった。しかもカメラの前で、俳優として。

私は3本の映画に出た。しかし、もうこの仕事を続けるつもりはない。大金を稼ぐことが出来るが、私はもう二度とするつもりはない。映画作りの相談を受けることはあるかもしれないが、演技を続けるつもりはない。それに映画に出ていなくても私は俳優のようなものだと言われているのだ。

——映画ではなく現実の世界では、過去数十年間で、居留地での状況は変わりましたか。

政府の態度は隠れたやり方からあからさまなやり方に変わってきた。彼らはいまだに先住民から彼らの土地をだまし取ろうとしている。やはり政府はアメリカの実業界を支援し、実業界は多くのインディアンの土地に手を付けている。彼らの態度は私が今言ったように、あからさまなやり方に変化しているのだ。私は何があっても二度と政府の政策を信用しない。個人的には連邦議会の議員たちは確かに良い人たちだが集団になると変わる。彼らは個人的には正直なのに、集団になると身を持ち崩すのだ。

——そんなに前のことではありませんが、オグララ・スー族のある女性が次のように語ったと言われています。「私は白人のように生きようと努めたけれど出来ませんでした。今はインディアンとして生きたいのです。儀式を失うと、私はただの酔っ払いの年寄りでしかありません。」今のアメリカン・インディアンの世代は自分たちの文化に対してそのような強いアイデンティティを持ち続けていますか、それとも薄れていっていると思われますか。

即答できる。より強くなっている。私たちの学校では完全なインディアン言語の集中訓練プログラムを行っている。現在、国内に24のインディアンの大学があり、その全ての大学では経済や学問に優先して文化教育が行われている。ますます彼らのアイデンティティは強くなっていまるのだ。

サンダンスやスウェット・ロッジの儀式といった北米インディアンの伝統儀式についてお聞かせ頂けますか、また、なぜそれらの儀式が今もインディアン社会においてそれほど神聖なものと考えられているのですか。

サンダンスでも、スウェット・ロッジでも、私たちインディアンはそれらの儀式から力を得るからだ。ここで言う力とは、やり続けるための強い気持ちであり、その意欲であり、勇気だ。たとえそれらの儀式が奪われようとも、私達は別の儀式を見つけるか、もしくは創り出すだろう。1887年に当時のインディアンがしたように。[当局が]儀式を禁止したが、私たちは自分たちで儀式を創った。サンダンスが禁止され、スウェット・ロッジが禁止されても、後に部族長になったその長老は、その当時は若かったが、彼は儀式をやり続けた。オジブワ族も、オグララ・スー族も、ディネ族も、ホピ族も儀式をやり続けた。当局が私たちの仲間の多くを投獄しても、尚、インディアンの力は絶えることなく生き延びた。それは儀式のおかげなのだ。儀式に付随して常に行われる祈りは非常に重要で、それはまさに私たちの本質なのである。

——儀式についてお聞かせいただけますか、サンダンスやスウェット・ロッジを行う時には具体的にどのようなことをするのですか。

それを説明するのはとても時間がかかる。その説明に興味を持っていただけると思うし、なぜ私たちにとってそれほど神聖なものなのかもある程度理解してもらえると思うが、それはまたの機会にして、その時にはその説明だけに時間をとろう。

——では、次に移りましょう。1993年は国連の「世界の先住民の国際年」で、大きなサミット会議がたくさん行われました。そのようなプログラムの先住民に対する意識向上効果をどう評価されますか。

私は国連を先住民の土地に対して戦争を宣言した人々の組織であると思っている。「世界の先住民の国際年」が行われる以前にそういう彼らの行為を見てきたから。それよりも私は先住民の国連が出来てほしい。だから私は組織メンバーの一人として1995年に沖縄で開かれたサミットにも関わった。

国連が先住民の話を聞かないといったのは私が最初ではないし、最後でもないだろう。[過去に] 私はミネアポリス市(ミネソタ州)の学校に意見を言い続けてきた。「私たちは学校を改革しないといけない、彼らは私たちの意見を聞いていない」と。そして、ついに彼らは決して私たちの意見を聞かないのだと悟った。90日後、私たちは行動に移していた。子供たちにミネアポリス市の学校をやめさせ、そして教会の地下を学校にした。今ではミネアポリス市にとセントポール市に私たちの学校が一つづつある。連邦議会議員たちもそれらの学校を訪れている。現在、私たちの学校は私たちの子どもたちに必要なことを教えている。

ミネアポリス市の公立学校のシステムは国連と似ていて、彼らは私たちの意見を聞かない。だから自分たちの学校を作ったのだ。

——これまでの数年間の冷戦や湾岸戦争といった米国が関係する大きな危機の中で、アメリカン・インディアンは常に米国の標的となってきた国々と関係を持ってきました。それは言わば火消しのための試みだったのでしょうか。その点においてどのように考えておられますか。

それは私たちが彼らの国々に対する戦いに関与していないということを伝えるためだった。私は自分が軍人だった時からそういうスタンスをとってきた。砂川 [空軍基地、東京] で、もし現地の人間がフェンスを越えてきたら、彼らに発砲するように言われた時、私は絶対に発砲しないと決めた。ここは彼らの土地であり、米軍がその土地に口を出す権利はなく、軍事基地の拡大のために誰かを撃つ道徳的権利もその他の権利も私たちにはないのだと、その時、心に誓ったのだ。

ブラック・エルク(オグララ・スー族の呪術師)が中東で取った立場も人権に関係していた。彼はこう言った。「私たちはあなた方に銃を向ける側の反対にいるわけではない。しかし私たちはあなたの国の人権問題に苦しむ多くの声に耳を傾けている。」私たちは誰のことも責めていなかった。私たちが受けた報告はそのような内容だった。そして、それらが国連と国際インディアン条約会議で公表されている。

しかし、先述の通り、私たちが目指している目標は私たち自身の儀式を強化することなのだ。私たちはそれをしなければならない。儀式を強化していく中で、おそらく人々は儀式やそれにまつわる祈りが政治的野心や政治的活動に優先するということを理解し始めるだろう。人間的感情が関係する問題に政治的な答えを求めることはできない。これまで政治的な決定は決して正しくなかった。常に多数派に都合よく決まるのだ。では少数派はどうすれば良いのだろうか。「この方法はだめだ、別のやり方を試そう」という人たちはどうすれば良いのだろうか。

——次の質問に関しては、既に部分的に答えて頂いていますが、もう一度お聞かせください。米国は他人への非人道性のつけが自国にまわってきているように思います。その国が今、アメリカン・インディアンの人々から何を学ぶ必要があると思いますか。

まぁ(笑)、私には米国がそもそも学ぶのかどうかわからない。しかし、米国にいる白人の若者たちは(ジョージ・H・W)ブッシュ大統領、レーガン大統領、ニクソン大統領に対して「ノー」と言った。そして彼らがこれまでで最年少の大統領である、クリントンを選んだ。彼は第2次世界大戦後生まれの初めての大統領だ。つまり年老いたリーダーを追い出した若者たちは精神的な方向性を求めているのだ。そして、そういう若い人たちが大勢、先住民のところにやってくる。彼らは「私たちを導いてください」と言わない。彼らは「一緒にいて、私たちにここで手本を見せてください」と言う。私は彼らを助ける準備はできている。どの国の強さも精神的基盤に依存しているのだ。もしそれがなければ、もう諦めるしかない。

——世界レベルで言えば、様々なアメリカン・インディアンの長老たちが、人類は私たちの歴史の流れを劇的に変えなければならない、そうでなければ、地球と共に滅びるだろう、と警告しています。生まれながらの精神的リーダーとして、私たちはこのような現状からどうなっていくと思われますか。

あなたはそれを誤解しているのかもしれない。つまり母なる地球はここに存在し、生き延びるだろう。今、地球が耐え忍んでいる核による大惨事を生き長らえ、その公害や汚染にも生き延びるだろう。そして、長い年月に渡り、自らを浄化し奮い立たせていくだろう。

今、アメリカの実業界がしなければならないことは、彼らのやり方を完全に捨て去り、方向性を変えることだ。地球を征服してはいけない。地球を利用してはいけない。それが地球と仲良く付き合っていく方法、調和の一つであるはずだ。人間のために木を使う方法がある。それは家を建てることだ。多くの森林再生プログラムがあり、それは植え付けと収穫だ。しかし、収穫するばかりで植え付けをしなければ、早かれ遅かれ、母なる地球は逆らう。そして、それ以上いじめられることを拒否するだろう。人間が母なる地球に負わせてきた仕打ちは私たちにつきまとうだろう。私たちが結末を変えることが出来る唯一の方法は、今、その大きな変化を起こすことだ。そして、それはものすごく大きな変化でなければならない。地球と調和を保たなければならない。逆らってはいけないのだ。

——あなたは人生で沢山のことを見て、経験されてきました。いつの日か、精神世界へと旅立たれる時、次の世代にどのようなメッセージを残したいですか。

命を引き継いでゆくことだ。私たちは自分たちよりも7世代先について常に考えていなければならない。私たちは常に長老を敬わなければならない。7世代先について考えることによって、私たちは未来を保証するのだ。長老を敬うことによって、私たちは7世代前に私達に託された遺産を守るのだ。

文化や遺産は極めて重要だ。未来のための答えを探すために、自分たちの過去に目を向けなければならない。なぜなら文化は常に私たちを導いてくれるからだ。そして、そこに答えがあるのだ。答えは最も年老いたものたちが知っている。私たちの本当の教師は木なのだ。彼らは人間よりも何千年も前からここにいる。私たちの教師は動物なのだ。バッファロー、鹿、アンテロープ、ヘラジカ。彼らは人間よりも何前年も前から存在している。鷲、鷹、フクロウ、彼らもまた私たちの教師だ。私たちは答えを見つけるために彼らに目を向けなければならないのだ。
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ブライアン・コバート 大阪を拠点に活動する独立ジャーナリスト。日本、海外の新聞や雑誌に執筆。