漫画、人種差別と手塚 [パート2]
(Manga, Racism & Tezuka)


アメリカから手塚プロに次々と手紙が届くようになり、抗議が単なる国内の問題ではないことが明らかになってきた。 松谷氏は「我々は真剣に受け止めています」と語った。

しかし、同時に、松谷氏をはじめとする出版社サイドが尚も感じているのは、黒人を不快にさせる描写は基本的に文脈を無視して解釈されており、日本語と英語の言語の壁が問題を複雑にしているということである。

「不公平に感じるのは、抗議者たちが彼の作品をわずかなシーンだけで判断していることです。 そういう意味では手塚が気の毒です」「抗議する人たちには、彼の作品を全編残らず読んで見直してもらいたいです。」と語った。

この問題で最も懸念されることの一つは、仕事をする上で表現の自由が制限されることだろう、と手塚の支持者は言う。

日本漫画家協会事務局長の田村保明氏は、「表現の自由は、漫画家が保護されるための、まさに基礎となるものです」と強調し「外部の力で制限することはできません。 表現の自由の範囲は、個々の作家に委ねられるべきです。」と述べている。

松谷氏も同意する。「作家や漫画家には好きなことを表現してほしいのです。 これは私の個人的な意見ですが、自分の描いた絵が問題になったり、誰かを怒らせたりすることをあまり気にしてほしくないのです。 私はどのようにマンガを描くかは、作家の良心に任せたいと思っています。」と、松谷氏は語った。

このように表現の自由の問題はあるが、出版社にとって手塚の作品の価値自体は失われていない。 3年前に手塚が亡くなって以来、手塚のオリジナル漫画は価格が高騰し、コミックブックの投機家たちにブームを巻き起こしています。

人種差別だと攻撃された手塚の連載漫画の一つである「新宝島」は、手塚が生きている間は20万円だったとされているが、死後はその4倍に高騰した。他の手塚のよく知られた作品はもっと高値で取引されているといわれている。

手塚の名声が伝説的に上がっていることから、彼の作品に対する注目度の高さがうかがえる。

手塚は大阪府豊中市に生まれ、小学生の頃から漫画を描き始め、同級生に見せるために手作りの漫画を編集していた。 学生時代もずっと描き続け、第二次世界大戦末期の1945年には4,000~5,000ページの漫画を描いていたと自負していた。

手塚が初めてアマチュア漫画を世に発表したのは、大阪帝国大学の医学生だった1945年だった。主に大学の学費を工面するために漫画を描き続けていたが、1年後にはプロの漫画家としてデビューした。 医学博士号を取得したものの、彼の情熱は聴診器よりもペンにあることに気づいたからだという。

やがて1947年には、伝説上の列島を舞台にした寓話である「新宝島」を発表し、瞬く間に大ヒットを記録した。 他の作品の成功も続き、手塚は一躍有名になった。

1954年に上京した手塚は、成功を目指す新進気鋭の漫画家たちを惹きつける存在となった。 また、読者にとっても手塚の作品は、勧善懲悪のSFスリラー、刑事もの、歴史もの、恋愛ものなど、どれをとっても飽きることがなかった。 手塚は、自分の漫画を単純な一次元スケッチではなく、アニメ映画のように見せることに誇りを持っていた。

しかし、手塚に人間的な弱点がなかったわけではなく、そのうちのいくつかは公になっている。 1990年に出版された『手塚治虫とっておきの話』(新日本出版社)という書籍では、その数年前にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で行われた講演会で、手塚治虫がどのように非難されたかが明らかにされている。

手塚は、映画版『火の鳥2772』に登場するヒロインは、どこにでもいる虐げられた女性の代表だと、UCLA大学の女子学生たちに非難されたことを回想している。後に手塚は、この気持ちをくじかれた経験から、女性を描くことに敏感になったと同僚に打ち明けている。

彼の黒人の描写に対する反応はあまり良いものではなかった。 手塚は、1960年代半ばにアメリカの黒人公民権団体から、黒人のキャラクターをよりリアルに表現するようにとの要請があったことをよく覚えている。 1965年には手塚はアメリカのNBCテレビネットワークの白人幹部との面会が報告されており、彼らは手塚にアメリカの一般大衆が受け入れ易いような黒人のキャラクターを描くように説得しようとした、といわれている。

手塚は後のインタビューの中でこれらの出来事について詳しく語っている。さらに1974年の作品『紙の砦』(『Paper Fortress』)では、テレビ関係者との場面を風刺して描いている。手塚は最終的に彼らの条件に同意したが、UCLAでの経験とは違い、人種差別的な要求には懸念を抱いていたと述べている。

手塚に最も近い人物である妻の悦子は、亡き夫の最も評価された漫画をめぐる騒動の高まりに疑問を抱いている。「彼の死から数年が経過しており、『ジャングル大帝』は非常に古いマンガです 」と彼女は言う。「なぜ今になって抗議するのでしょうか。 私はむしろその事に当惑しています」と語った。

東京を拠点に活動するアフリカ系アメリカ人の学者であり、この問題に関する著者でもあるジョン・G・ラッセル博士は、「手塚は死ぬまで日本でステレオタイプの黒人を描き続けました。 彼は、それらが軽蔑的なものと考えられていることを知っていたにもかかわらず、描き続けたのです。 彼は無知を言い訳にすることは出来ません。」と回答している。

このような議論にもかかわらず、手塚の遺産はますます大きくなっている。 手塚の故郷である兵庫県宝塚市は、手塚の名を冠した博物館を1994年初頭に完成させる計画を立てており、主催者は当初、手塚の作品を例外なくすべて展示するとしていた。 しかし、宝塚市役所の山下稔企画調整部主幹によると、抗議の声を受けて、10億円の手塚治虫記念館から、議論となっている漫画を除外することが決定された。

それに加え、今でも日本の子供たちに愛されている『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』の新作ビデオが発売された。しかし、それらにも変化がないわけではない。 手塚の傑作コミック版『ジャングル大帝』に頻繁に登場する問題の黒人キャラクターは、ビデオ版では完全に編集されカットされた。しかし、白人のキャラクターはそのまま残されている。

手塚の漫画については、出版社が今後も次のような日本語の注意書きを中に挟んで販売することになった。

「読者の皆様へ 『手塚治虫漫画全集』の作品のいくつかに、アフリカの黒人や、東南アジアの人々をはじめ多くの外国人の姿が出てきます。それらの絵の一部は、いかにも未開発国当時の姿だったり、過去の時代を誇張していて、現在の状況とは大きな違いがあります。最近、このような描き方は黒人や一部の外国人に対する人種差別であるとの指摘がなされております。こうした絵に不快感を覚え、侮辱されていると感じる人がいる以上、私たちはその声に真剣に耳を傾けなければならないと思います。」

大阪のASRABや他のグループは、その注意書きが十分というには程遠く、漫画のどの部分が人種差別的とみなされ、どの部分がそうでないかを明確に示さないことで、さらに読者を混乱させると述べている。

未だに繰り広げられている論争は、簡単には解決しないようである。 日米の抗議者たちが提示した解決策は、コミックの全面的な禁止から、記録用としてのみ保存するものまで多岐にわたっているのだ。

いずれにせよ、結論としては、時代遅れの黒人の描写は排除されなければならないし、日本の出版社がそれで利益を得ることをやめなければならないということである。 また、日本の影響力を持つ人たちによる人種差別的な発言が未だ黒人社会で問題になっている。そのような状況の中、出版社との間でよく持ち上がるのは日本製品の不買運動である。

手塚の人気と同じように、抗議の声も色あせる気配がない。 大阪のASRABのシカゴ支部が新たに設立され、草の根反対運動に加わった。ノーザン・ケンタッキー大学の桑原博士はオハイオ州シンシナティ市の自宅から次のように語った。「米国を拠点とする抗議グループは、日本国内からの抗議の声に合わせ、出版社が日本の消費者に黒人のステレオタイプを売り込む限り、彼らへの攻撃を続けていくでしょう。」

しかし、出版社は出版を続ける意向である。講談社の西尾氏は「部分的な欠点があったとしても、それが手塚の作品を排除する十分な理由にはなりません。」と述べた。そして「 例えば、有名な作家である島崎藤村の小説『破戒』(『The Broken Commandment』)を例にとると、そこには部落民(日本の被差別民)に対する攻撃的な表現が多く含まれていますが、その作品は注意書きを付けていまだに本屋の棚に置かれています。 この問題で和解する最善の方法は、手塚の作品をそのまま説明付きで出版することだと考えています。」と続けた。

松谷氏はその共同で出した結論に強い態度で臨んでいる。「現時点ではこれが最善の策と考えています。引き続き対応し、理解を求めていきたいです」と述べた。

「将来的には、そのような注意書きも必要ないかもしれません」「歴史が変われば、人々の意見も変わります。 我々が神でない限り、常に正しいとは限らないのです。」と松谷氏は締めくくっている。

この点については、「マンガの神様」手塚治虫も次のような予言的論考を1974年のしんぶん赤旗に残している。

「ぼくは書きたい漫画が自由奔放に書ければ、と常々思います。現在の日本の出版情勢では、もちろん売上が伸びることが前提だし、そのための妥協やサービスが作り手におしつけられます。また読者や批評家の方からの圧力もあるんです。教育上どうとか、しつけにわるいとか、くだらないとか、マンネリだとか…。しかし、ぼくがひじょうに不安なのは、ほかのマスコミ文化と同様に、漫画もいきつくところまで堕落してしまうのではないかという問題です。」
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ブライアン・コバート フリーランスジャーナリスト 大阪在住