レビュー 『Paying the Price for Peace』


PAYING THE PRICE FOR PEACE: The Story of S. Brian Willson
監督/制作者 ボ・ブダート
2016年 110分

アメリカ政府が始めた多くの戦争や紛争に懸命に抗議し、真の平和な社会や世界のために献身する人たちがいます。それは卓越したことです。しかし、S・ブライアン・ウイルソンという名のベトナム戦争で戦ったアメリカ退役軍人ほど実際に重い代償を払った人を私は他に知りません。この封切られたばかりのドキュメンタリー映画はそんな彼の物語です。

これは1940年代のニューヨーク州の小さな町で暮らす、若い頃のウイルソンがいかに学業優秀でスポーツに秀でていたかという話しから始まります。彼は米国独立記念日である7月4日生まれのまさにアメリカらしい少年でした。そして、1960年代の半ばにアメリカ空軍に加わり、ベトナムへ行きました。そこでは米国政府がいわゆる「ベトコンゲリラ部隊」に対し、勝ち目のない戦いをしていました。 

ウイルソンの人生が永遠に変わったのは彼がベトナムにいた時でした。そこで彼が目の当たりにしたのは、米国の爆撃機によって虐殺された「敵の兵士」と呼ばれる多くの死体でした。しかし、それらの死体は実はベトナムの田舎の村に住む、罪のない女性や子供、お年寄りだったのです。ウイルソンは、その時、米軍のベトナム駐留の全てが、そして、愛国心に溢れたアメリカの青年としての彼のそれまでの人生が、全て偽りだったと分かったのです。彼は映画の中で「私は全てを完璧にやって来ました。そして、それが全て間違いだったのです」と振り返っています。

その経験が、ウイルソンいわく、「米国の暴力に対する彼自身の気付き」の始まりだったのです。米国の暴力というのは、米国の圧政的な歴史と世界の国々に広がる米国の影響力のことです。ウイルソンはベトナムから帰国した後、弁護士になり、様々な社会の問題について活動しました。1980年代には、ロナルド・レーガン政権が中米のニカラグアで「共産主義の脅威」というものに対し、不法で秘密の戦争を行っていました。ウイルソンはこの抗議にも加わっていました。

1986年、ウイルソンと他の3人の退役軍人がニカラグアでの秘密の戦争に抗議して、ワシントンDCの議事堂の階段で一ヵ月以上に渡り、ハンガーストライキを行いました。1年後、カリフォルニアの西海岸で、彼と他の抗議者たちは鉄道線路の公共部分に座り込みをする計画を立てました。彼らは米軍が中米へ武器を輸出するのに使っていた線路に座り込み、列車を止めて、米国製の武器で他国の人の命が奪われるのを防ぎたいと考えたのです。

1987年9月1日、ウイルソンの人生はまた変わりました。その日、彼は米国政府の列車に轢かれ危うく命を落とすところでした。脳に損傷を負い、両脚の膝から下を失ったのです。

本当に生きていることが幸運でした。しかし、彼は活動が出来るようになった途端、以前よりさらに精力的に平和活動を再開しました。そして、様々な国を訪れ、米国の戦争政策が他国の罪なき人々を死に追いやり、また危害を加えてきた真実を実証するという仕事を続けました。

その当時、私は日本にやってきたばかりで、ジャパン・タイムズ大阪支社の報道記者として働き始めた頃でした。そんなある日、私はブライアン・ウイルソンとその列車についての出来事を新聞の短い記事で読んだのです。

2003年の終わり頃、私と妻はその頃住んでいたカリフォルニアの北部にあるハンボルト郡、アルケータで、ブライアン・ウイルソンとパートナーのベッキー・ルーニングと偶然知り合いになりました。私たち4人はその町で、米国政府によるイラクでの不法で非人道的な戦争に平和的に抗議するグループに加わりました。ウイルソンにとって、この取り組みは遥かベトナム戦争にまで遡る平和活動の延長でした。そして、米軍がイラクでの戦争において、何十年も前のベトナムでの戦争よりもずっと悲惨で確実な敗北へと向かっているのは明確なように見えました。

この映画『Paying the Price for Peace』(平和への代償)はウイルソンのそのような長年に渡る平和への取り組みを記録したものです。また、この映画にはこれまで保存されてきたニュース映像、米国退役軍人のビデオインタビュー(それらは第二次世界大戦からイラク戦争に及びます)、ウイルソンの近しい友人や様々な平和活動の仲間たちなども取り上げられています。その平和活動の仲間たちの中には俳優のマーティン・シーンや作家のアリス・ウォーカーなどもいます。また監督のボ・ブダートによって、この映画全体に紡ぎ出されるサウンドトラックの音楽も良いと思います。

私にとって、この映画を見ていて一番辛い箇所は(きっと他の人にとっても同じだと思います)、1987年にウイルソンが政府の列車に轢かれるシーンです。彼がその事故から生きながらえて、今日もまだ尚、執筆や演説を続けることが出来ているのは本当に奇跡です。しかし彼はこれら全てをなんとか乗り越え、映画の中で強調しているのは、米国政府が彼に与えた身体的暴力は米国政府の戦争政策や経済的搾取によって日々世界の人々が被っている暴力のほんの一部に過ぎないのだということです。

ウイルソンにとっての平和の代償というのは、ある意味で無駄の多いアメリカ式の生活をしないことも意味しています。このアメリカ式のライフスタイルは世界の自然資源を使い切り、毎日ニュースで目にするように、驚くべき速さで自然を破壊してゆくのです。ウイルソンは特別注文の手動自転車で地元を回り、米国内は列車で旅をして、飛行機を使って海外へは行きません。現在、彼はオレゴン州、ポートランドにある家庭菜園で有機野菜を栽培するというシンプルな暮らしの中で、マハトマ・ガンジー、マーティン・ルーサー・キング・Jr. 牧師といった精神的革命家たちが唱えた「非暴力が社会を変える最も大きな力である」を信条に生活を送っています。

また彼は、もっと多くの米国人が立ち上がり、抗議の声を上げ、より大きなリスクを負わなければ、意味のある社会的な変化は起こらないと固く信じています。私の見解は彼と全く同じです。そして、このことが当てはまるのは米国人だけではありません。日本政府も今、米国政府の戦争中毒に足並みを揃えているので、日本の人々も将来、米国人が現在直面している戦争と平和についての重大な選択を迫られる日がくるでしょう。

この映画の大筋はウイルソンの2011年に出版された回顧録『
Blood on the Tracks』(血まみれの線路)に沿って描かれています。私は皆さんがこの本を購入し、彼の話を読むことを心からお勧めします。映画『Paying the Price for Peace』は現在、米国のいくつかの映画館で上映されています。また、こちらの映画公式ウエブサイトから直接、DVD版を購入することが出来ます。

ブライアン・ウイルソンの近況は、こちらの
個人ウエブサイトのブログから知ることが出来ます。彼の執筆には考えさせられることが沢山あり、平和な世界に住むために努力する私たちの意欲を大いにかき立ててくれます。

しかし、一体どんな代償を払えば、平和な世界が訪れるのでしょうか。それは、自分次第です。ブライアン・ウイルソンの場合、この平和の代償はこの映画で描かれているように、生涯を賭けた犠牲と献身を意味しています。私たちは多忙な日々の中、いくらかの時間を割いて、この映画を鑑賞し、大事なメッセージを深く心に刻むことで、その恩恵を受けることが出来るのです。

ブライアン・コバート