漫画、人種差別と手塚 [パート1]
(Manga, Racism & Tezuka)


ブライアン・コバート

アメリカのウォルト・ディズニーに匹敵する日本人は漫画家の故手塚治虫(1928−89)だろう。彼は誰もが認める漫画の草分け的存在である。手塚は彼の独自のスタイルで日本の戦後マンガ産業に革命を起こし、現代の漫画ブームの先駆けとなった。

手塚は「マンガの神様」(「God of Comics」)として知られるが、彼の人間性への関心の深さは、死後、疑う余地もなく、それは彼の15万点以上のイラストのテーマである。

「手塚は常にアイデアに溢れ、力強い開拓精神を持ち、マンガを愛し、平和を愛していました。」と、株式会社手塚プロダクション代表取締役の松谷孝征氏はいう。彼は手塚の遺産のビジネス面を統括している。「手塚はよく、マンガは世界共通語であり世界平和の媒体となる、とも言っていました。」

カメラ嫌いの松谷氏はまるで彼自身が手塚に作り出されたキャラクターの一つのようだ。体格が良く、長身で、身だしなみが整っていて、白髪混じりの日焼けした、子どもに好かれる人懐っこい顔。この仕事にぴったりの人物だ。

多くの他の日本人と同様に、松谷氏も、手塚の作り上げたキャラクターで育ち、彼に尊敬の念を抱いてきた。その尊敬があまりに深いために、独占インタビューで手塚の短所を挙げるよう言われた時は、見るからに困っていた。顔は赤くなり、ゆっくりと慎重に話した。「私にはそれに答える資格がありません。」

しかし、松谷氏の机の上に積み上げられた手紙の山がそうではないことを示している。

日米両国には、手塚のことを、神とは程遠く、黒人に対して人種的偏見があり、彼の持つ人間に対する繊細な感性も結局は人種の壁に捉われていて単に過大評価されていたにすぎないのだ、と批判的な人々がいる。

「これらのマンガは全く面白くありません」とシャーリー・リッチモンド氏は松谷氏に書いている。リッチモンド氏はテネシー州ジャクソン市に拠点を置く850名のメンバーから成る地域団体の所長である。「これらのマンガは人種的にひどく無神経です。日本人が一般的にこのような考えでなければ良いと願います。」

また、ウィスコンシン州ラシーン市の女性宗教団体、聖ドミニコ修道女会からも次のような激しい非難の手紙が来ている。「手塚の漫画の中のアフリカ人やアフリカ系アメリカ人はひどく否定的なステレオタイプで描かれています」

さらに、ロナルド・チソム氏からも抗議の手紙が来ている。チソム氏は生存と未来のための市民研究とよばれる全米草の根団体の事務局長である。彼は「こんなゴミのような出版物を作る会社はビジネスから締め出されるべきだ。」と述べている。

批評家は手塚のよく知られている作品の多くで描かれている黒人のキャラクターが人種的な偏見の表れだと指摘し、手塚の描く黒人は西洋社会から植え付けられた否定的なステレオタイプの要素が全て含まれていると主張している。

「私が最も懸念しているのは、手塚の描くこのような黒人の否定的なキャラクターによって日本人が無意識のうちにそれが事実だと思ってしまうのではないかということなのです。」と、ハリエット・リチャード博士は言う。リチャード博士はノーザン・ケンタッキー大学の心理学の教授であり、米国黒人心理学協会の役員である。

「私は手塚の作品に差別感情があるとは全く思いません。」と西尾秀和氏は言う。西尾氏は講談社の法務部長である。「手塚の作品の根底にあるのは、人道主義と愛です。」

手塚の描くキャラクターへの見解の違いが日本最大手の出版会社と日米相互に関係を持つ市民団体との間に亀裂を生み、両者間の対決の焦点となっている。市民団体はこのような描写は書店の棚から、ただちに排除されるべきであると求めているが、出版社は断固としてこれを拒否している。表現の自由と社会的責任という難しい問題を抱えて、戦いが起ころうとしている。

問題となっているのは『ジャングル大帝』(1950年)や『鉄腕アトム』(1952年)などの手塚の名作に登場する黒人の描写であり、それぞれキンバ・ザ・ホワイト・ライオン『Kimba the White Lion』やアストロボーイ『Astro Boy』として、また『新宝島』(『New Treasure Island』、1947年)、『火の鳥』(『Phoenix』、1954年)とともに欧米でも知られている。 これら4作品は、手塚の輝かしいキャリアの頂点に位置すると考えられているのだ。

批判家たちは店頭で売られている様々な手塚作品の中で、手塚が常に黒人を野蛮な人食い人種、性的野蛮人、白人のための、役立たずの召使いといった屈辱的なイメージで描いていることを非難している。

さらに彼らは、手塚の黒人の描写では、分厚い唇、焦点の合っていない目、動物のような顔の形と過度に身体的特徴が歪められており、他の人種の風刺画と比較した場合、黒人を人間として描いていないと主張している。

手塚の漫画で特に批判されているのは、アメリカの黒人がデパートの売り場に殺到して白い人工皮膚を買い求める『地球を呑む』(『Swallowing the Earth』、1968年)、四つの乳房を持つ黒人の肥満女性に六人の赤ん坊がしがみついている描写の『やけっぱちのマリア』(『Desperate Maria』、1970年)、アフリカのある納屋で黒人男性が白人女性をレイプする『鳥人大系』(『History of the Birdmen』、1971年)などである。

手塚の支持者たちは、これらの描写を誇張表現の技術以外の何物でもないと擁護している。

「手塚はたまにマンガの中で自分の鼻を実物の数倍の大きさに描いていました」と松谷氏は言う。 「日本人のキャラクターも善人や悪人として風刺的に描かれている。ほんのいくつかのシーンだけで、彼のすべての作品が人種差別的だと判断されてしまうのはとても残念なことだと思います」と松谷氏は述べる。

日本漫画家協会の会員には手塚の同業者や支持者が多く、このような思いを共有している。

では、いったい、どのようにして手塚作品が人種差別的であると判断されてしまったのだろうか。

皮肉なことに、これは海外での日本たたき的な取り組みではなく、大阪の日本人グループ「黒人差別をなくす会(ASRAB)」が行った、当時は無名であった地元の抗議活動が発端だった。これが瞬く間に海外に広まりこのような騒ぎに至った。

ASRABは1988年に結成され、現在では100人を超える多民族の支持者が会員となっている。 日本の企業ロゴや玩具などに見られる黒人差別を対象にした運動は、日本社会のあらゆる面に浸透し今や4、400億円産業である漫画の分野にまで発展している。

様々な漫画を収集しているうちに、創立メンバーは、黒人のステレオタイプなイメージが描かれた漫画の多くが、他ならぬ「マンガの神様」によって描かれていたことに愕然とした。

「私たちは、手塚が漫画家として優れた資質を持っていることを認めています」とASRABの有田利二副会長は述べる。「しかし、だからこそ、私たちは失望したのです。彼でさえ、全ての日本人が持つ同一の固定観念で黒人を描いていたのです。 私たちはただ、手塚のマンガの中には差別的なイラストが含まれていることに気づいてもらいたかったのです」と語った。

有田氏は、手塚の漫画の少なくとも20冊に黒人に対する人種的差別の要素が含まれていると考えている。

1990年9月、ASRABは日本の大手出版社や手塚プロの松谷氏に抗議文を送り始めた。この内容は各社で話し合われ、謝罪もされたが同時に手塚の本は意図的な人種差別とはみなされず、黒人の描写は今後もそのまま出版されるだろうという毅然とした対応がなされた。

冷徹な出版社や無関心な地方の新聞社に不満を感じたASRABは、その人脈を利用して、米国内のいくつかの主要な機関で手塚への抗議を直接行った。

これらの機関には、ワシントンDCを拠点とする政治経済研究ジョイント・センター、黒人ビジネス協議会、スミソニアン協会の国立アメリカ歴史博物館、黒人の名門大学であるハワード大学の学生やスタッフ、ニューヨークに拠点を置く子どものための異人種間図書の会、そしてボルチモア市のコミュニティー・リレーションズ委員会が含まれており、その委員会のジョン・B・フェロン委員長は、このような描写を黒人に対する「絶対的な侮辱」と公に非難した。

米国議会内に影響力を持つ議員グループ、連邦議会黒人幹部会もASRABの努力を評価した。 日本では、ASRABの活動はほとんど知られていなかったが、米国では、ASRABは黒人コミュニティの様々な部門から広く注目され、彼らと強く結束している。

特に教育現場からは、1991年春に、2名の教員がこの活動に加わりました。彼らはノーザン・ケンタッキー大学の教員で、大阪の人種差別反対活動を継承するために、ASRABの米国支部を設立することを決定した。 一人はアフリカ系アメリカ人研究のディレクターであるマイケル・ワシントン博士、そしてもう一人は東京都出身のコニュニケーション学の教授である桑原泰枝博士だった。

桑原教授が人種的偏見の問題に取り組み始めたのは、ゼイヴィアー・ルイジアナ大学の准教授を務めていた1988年のことだった。 桑原教授は、黒人学生の比率の高い大学で教えるにあたって、自分はアメリカ人学生についての十分な知識を持っていると確信していた。

しかし、実際には、自分も「平均的な日本人」のように、いかに黒人や彼らの文化を知らないかを発見したという。

桑原教授は、その年の残りの時間を、学生たちからアフリカ系アメリカ人の文化について学んだ。それは彼女の人生を変える経験であった。 「それ以来、私は人種差別をなくすために自分の人生を捧げようと決心しました」と彼女はいう。

教授は昨年、手塚プロへの大規模な手紙キャンペーンを米国で立ち上げることに尽力し、黒人のステレオタイプなイメージを含む手塚の漫画の製作中止を要求した。 このキャンペーンは200以上の宗教、教育、平和団体によって支持されているという。